2020年04月04日

歴史と経済発展

Nathan Nunn, The historical roots of economic development
Science 27 Mar 2020:
Vol. 367, Issue 6485, eaaz9986
https://science.sciencemag.org/content/367/6485/eaaz9986

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ここ1000年の経済成長を見てみよう。ある地域の西暦2000年のGDPの順位を完璧に予測するのは1800年の順位で、1500年のそれでもそこそこ予測できる。成長に違いが生まれ始めたのは1500年ごろで18世紀には加速し始めた。アメリカカナダオーストラリアニュージーランドなど海外の西洋分家は例外的にそれまでの歴史を覆して成長している。

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開発経済学は長いこと土地や機械や教育や健康などに投資できないことから貧困の罠が生じているという考えに囚われ、歴史を無視してきた。一方経済史は地域に囚われ、違う地域間での比較や社会の文化的進化を見過ごしてきた。90年台後半から00年代初期にかけ現在の所得の違いは15世紀に始まる欧州との接触の違いで説明しうるという話が台頭してきた。鉱山開発やプランテーションの奴隷制のラテンアメリカと海外の西洋分家とで差があるという指摘がまずなされた。その後はもっと細かく見る研究が主流だ。発掘のためのミタ制の内外で比較すると強制労働が行われた地域では現在でも低収入で貧困が多く教育も少なく健康も良くないという結果になる。1400~1900年での奴隷の出荷数が多いほどその国は低所得になることもわかる。大西洋奴隷貿易を行なった欧州各国は勃興した。新しい商人階級が発展するような制度ができたからだ。蒸気船の登場は取引費用を減らしたが、海外の西洋分家などその効果が大きい地域は利益を得たが普通の西洋植民地はそうではなかった。
法典の違いは発展の違いを生む。大陸法は英米法ほど取引の扱いに優れていないため発展の度合いが低くなる。植民時に死亡率が低かったニューイングランドでは法制度が整備されたが、死亡率が高かった熱帯アフリカではそのような整備はなされず収奪が行われた。後者の地域は貧しいままだ。
歴史を考える上で社会的文化的な要因を進化の枠組みで捉える研究も進んでいる。ツェツェ蠅の住みやすさの指標を作り、それをアフリカの地域に当てはめたものがある。棲みやすい地域ほど工業化以前に政治的経済的な発展が遅れている。これは家畜化した動物の導入が遅れ、その結果貿易量が減って農業の集約度が低くなり、人口密度が低くなってしまったため。行政組織は独特な文化の特徴を持っていた。例えばイタリアの都市国家では好社交的な文化が生まれ今日にも受け継がれており、東欧のうちハプスブルグやオスマン帝国に支配された地域でも同じ傾向がある。19世紀のハプスブルグ帝国の一部だった村では法制度への信頼が高い。また女性の労働参加への賛成度合いの差を説明する研究もある。大麦小麦ライムギなど平らで深い土壌の中に育つ作物は鋤での農法が向いているが、モロコシや黍など斜面や岩や薄い土壌で育つ作物は向いていない。鋤を使う農業では男は外で女は家で働くという形が続いた。現代でもこの時期の性規範が残っている。また共産主義国では男女の平等が叫ばれ現在でもその影響が残る。奴隷貿易では男が減ったため女の役割が増え労働や軍事や政治への参加が促されたがその文化が残る。畜産業の行われた地域ではでは男は家を離れたことから、女の貞操を確保するために女性器切除や移動の制限を課した。その影響がやはり規範として残っている。
最初期の研究では国家間を比べていたけど近年では地域内や民族内や村内で比べ個人レベルで把握することも行われている。操作変数やDIDや回帰不連続や傾向スコアや自然実験で因果推論がなされる。再現性の検証として多くの地域で同じ理屈が成り立つか確かめられている。違う歴史的背景で確かめたりもする。
学際的な協力が進んでいる。人類学は多くのデータを持っていて魅力的だ。中央集権の度合い、花嫁価格、鋤文化、牧畜、妻方居住婚、母系制など文化の重要性についての知見がある。文化の差を見るのでなく起源を理解しようという方向もある。名誉の文化の度合いはアメリカ南部で高く北部では低く死亡率に差が見られる。これはスコットランドまたはアイルランド系の移民が北米大陸に着いたとき、公的な法の支配のなかった南部では名誉の文化が残ったが、すでに法の支配があった北部では残らなかったからだ。母系制は家族内に分裂を生むと言われている。母系制の地域的な広がりの境界があるDRCでは境界内外で比較が可能だ。実験ゲームをやらせると母系制文化の夫婦は協力しないが女の権力が強いことが示された。女が強いほど子どもへの投資が増すことは知られていて、実際にその地域の子どもは栄養が十分で教育が高く死亡率も低い。WEIRDの個人主義がどこから来るのかを調べた研究もある。中世の教会がいとこ婚を禁止したため親戚の付き合いが弱くなり個人主義の社会が生まれたと見ている。
文化や心理面の変化を調べる方向もある。紛争が協力を促すという実験ゲームもあるし、紛争が宗教心を強くするという結果もある。宗教心が強くなると協力するというわけだ。外部の環境が伝統重視の度合いを調べる研究がある。西暦500年まで気候データを調べると、安定した環境の地域ほど伝統を重視している。どのような文化の側面が変わりやすいかなどを調べるのもいいだろう。
歴史は政策考察の上で無意味という主張は間違いだ。一時の出来事が大きな変化を生むこともある。歴史は持続的な影響を持つが政策介入が無意味ということにはならない。西洋医学は効果があるのにアフリカでははねつける人がいる。これは歴史的に根を持っている。植民地時代の眠り病の治療で盲目になってしまう人が出たのだ。西洋医学を信頼しないという風土が残り、アクセスを与えても利用しないという状況が生まれている。またアメリカでも梅毒の治療を黒人には行わないという地域があった。黒人は医療制度への信頼をなくし今日でも死亡率は高く寿命も短い。黒人の患者は黒人の医者に看させると効果が上がるという結果がある。これは歴史を利用した介入といえよう。
我々がどこから来てどこに向かうのか教えてくれるのは歴史なのだ。

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非常に簡潔にまとまってる近年のポリエコ文脈の概説。すごい。。。
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2020年04月02日

資本とイデオロギー(ノーカット版)

Capital and Ideology, Thomas Piketty

Capital and Ideology - Piketty, Thomas, Goldhammer, Arthur
Capital and Ideology - Piketty, Thomas, Goldhammer, Arthur

現状の不平等を正当化するロジックは歴史的に常に存在してきた。でも不平等は経済的でも科学技術の進歩によるものでもなく、イデオロギーそして政治的な帰結なのだ。社会がどう構築されるべきかを決めるのは境界と所有権の2点だ。参政権があるのは誰か、領土はどこまでか、他国とどう接するか。そして何を持てるか、どう世代に受け継がれるかなど。歴史的に色々な方法が試されており、今ある不平等は不可避のものではない。1980年代以降税の累進制は減り資本の不透明な循環が加速したが、これを防ぐことができなかったのはなぜかという疑問が起こる。1950~70年代は英労働党も米民主党も貧しく教育の無い者が支持していたが、1980年代からは教育のある者が支持するようになり、1990~2010年では金持ちが支持するようになった。社会民主的連合は貧者を統合するようなイデオロギーの更新に失敗したのだ。そこで本書は歴史を踏まえ新しいイデオロギーを提唱していく。
中世は聖職者・戦士階級の貴族・第三身分からなる三身分制だった。これは世界の多くの地域で見られ、現在もその断片が観察できる。聖職者と貴族だけに所有権があり、王権は所有権と密接に関わり秩序を維持するために軍事また警察権を行使した。労働者は移動を制限され上位者の所有物であった。この不平等が秩序を維持するために必要として当時は正当化されていた。安定的な社会にはある程度の正当化がなされるもの。必ずしも身分は固定されていたわけではなかった。理論上エリートは神権と王権とに分断され、庶民は統一されていた。
アンシャンレジームでは地方が力を持っていたので中央の権力は誰がどれだけ財産を持っているか把握しきれていなかった。1380年から1660年まで聖職者と貴族は合わせて人口の3.5%ほどを占めていたがその後下落し、フランス革命前夜の1780年ごろには1.5%程度だった。人口増加、免税貴族の廃止による税収増、地位の金銭化、財産を長子に集中させて権勢を守る、など様々な要因がある。貴族は1780年ごろは全土の半分を所有したがそれは1810年には25%ほどに落ち、そして復古王政では45%まで戻した。この動きは経済よりイデオロギーと政治により説明できる。教会は全ての財産の3割を所有していた。これはどの組織より多く影響力があった。教会法に沿うようどのような金融取引が可能かに苦心していた。財産法の起源は教会にあるのだ。
1789年は大分断が起きた。王権は中央政府のものとなり、所有権は不可侵のものとされ分離されたのだ。まずは「歴史的」な方法がとられ、契約上のものとみなされない権利は剥奪されることになった。でも実際には無給の労役やインフラ利用料金の徴収などは貴族の権利として残った。これはブルジョワは保守的で賃料という概念そのものが脅かされるという恐れを抱いたからだ。小作地の所有権者を売買で変更する際領主に支払わなければいけないロッドという権利もまた残った。これは現在の不動産譲渡税だ。次には封建関係で使われた用語のものは廃止しようという「言語的」方法がとられた。中央政府が国権を振り回さないという信頼は最初はなかった。この新しい所有権社会は人を解放するという側面はあったが、既存の所有権は正統性がなくても神聖なものとして扱うという側面もある。
相続文書を分析すると1800-1810年ではトップ1%は私的財産の45%を所有していたが、1900-1910年には55%を所有することになった。ベルエポックのパリは特に資産の集中が顕著で、70%は何も持たずに死んだ。これは収入にも遺産にも非常に定率の税しかかからなかったためで、資本の自由な蓄積を許していた。政治とイデオロギーの変化で累進的な相続税ができたのはようやく1901年になってからだった。これはフランス革命が自由と平等を謳いフランスは特別だと思い込んでしまったことにも遠因がある。
イギリスは庶民院にも貴族が登院していた。累進税の導入の顛末において貴族院の影響力はようやく完全に失われた。スウェーデンは貧しく非常に富が集中した国で、資産に応じて投票権が与えられたため1人でその地区の過半数を占めてしまうような個人が何人も存在した。でもイデオロギーの変化で暴力抜きで平等な国になっていった。所有権社会ではどこでも同じくらいの富の集中が見られ、教育が必要とされる時期に不平等が高まり不満が生まれ、植民地支配で解放という理想へケチがつき、ナショナリズムが高まってしまった。
奴隷や農奴にどれだけ自由が認められたかは社会により異なる。英でも仏でも廃止時には奴隷所有者への賠償がなされ、奴隷本人にはなされなかった(議論すらなかった)。ハイチは100年以上にわたり仏に莫大な賠償を払い続けた。これは所有権が神聖視されたためだ。アメリカでは北東の工業また金融部門に対抗した民主党は南部の奴隷制を支持しその後の米国の政治史でも一貫した行動をとっている。
植民地は非常に不平等な社会だった。ハイチではトップ1%が収入の60%近くを占めた。これは生存を可能にする資源以外を全てエリートが奪ったと言える。植民地の予算は現地で均衡していた。英仏の海外資産は非常に高く、軍事行動や不平等条約の押し付けで賠償金を奪っていた。現地民には権利はなかった。フランスはアフリカ諸国と連邦を組もうとしたが失敗した。今ある国際関係は絶対のものではない。
インドには4つのヴァルナ(階級)として聖職者のバラモン、戦士のクシャトリヤ、農民や職人や商人のヴァイシャ、奉公人のシュードラがある。王権をバラモンが賢く導くという形は欧州のそれと似ている。階級は固定されたものではなかった。食生活と父権社会がその特徴だった。イギリス政府は共同体の単位を指すジャーティへの理解がなく垂直的な支配に利用しようとしたが失敗した。19世紀末にはバラモンは7%ほど、クシャトリヤは4%ほどであり欧州のエリートと同じような割合だった。今日に至るまで同じような割合になっている。これは政治的分断の結果だ。不可触民やその他の下層階級のためにアファーマティブアクションが取られ議会の枠が割り当てられ、実際に生活水準は向上させたもののエリートとの溝は深まった。教育や保健への投資と税負担が拒否されてしまった。土地改革も進まなかった。
欧州の政府は19世紀には国民所得の8-10%の規模だったがオスマン帝国や清のそれは1%で警察国家にすらなれなかった。これは欧州は戦乱が相次ぎ財政能力を高める必要があったためだ。重商主義と保護主義がその特徴。日本の武士階級は明治維新前には人口の3%ほどだった。列強に支配されないよう工業の発展と教育の進展を進め、部落民を含めて国民の統合を果たした。中国では儒学が国教のようなもので教養人が役所や共同体のために尽くす伝統があった。中共という宗教への連続性を見る向きもあるけど二点の違いがある。まず、財政的に弱すぎて中央集権ではなかったこと。次に、知識階級は戦士階級の八旗に負けていたこと。科挙の資格も売られることがあった。民衆の反乱は欧米の介入を呼び込み失敗に終わった。イランは神権政治であり平等が謳われているが実際には富の配分は不透明となっている。
1914-1945で私有財産制社会は終わった。戦争よりも、海外資産の収用や企業の国有化、家賃や価格の統制、インフレによる公債の縮小、歳入確保のための資産課税といった政治的変化がこれをもたらした。最大で70-80%になる累進課税が導入され実効税率としても80年代に至るまでかなり高かった。二つの大戦、ボリシェビキ革命、大恐慌といったショックに対し私有財産を神聖視することで繁栄につながるという思想が力を失う大転換が起きたのだ。
1917-1991の間にはアメリカ資本主義とソビエト共産主義が存在感を示し、ドイツや北欧で見られるような労働者との共同経営など私有財産制を超えるような発想はなかなか浸透しなかった。20世紀初頭から半ばまでアメリカは欧州より労働生産性が高かった。これは教育で圧倒していたからだが次第に逆転した。アメリカでは不平等が高まり、成長率も落ちてしまった。平等になる投資とは訓練と教育のことだ。アメリカが欧州より生産的だったのは私有財産を重視したからではなく教育が進んでいたから。非常に高い累進税率でも成長はできる。とはいえ今は欧州でも教育予算は伸び悩んでいる。社会民主主義は資本主義と国民国家を超えることに失敗し続けてきた。累進的所得税と累進的相続税は導入できた国はあるが累進的資産課税は反対に遭っている。租税競争の影響も受けている。税制には慣性があり18世紀の制度を引きずっていることもある。正しい税制については昔から多くの議論がなされており歴史として何を学ぶかは様々だろう。
ソ連は私有財産制からの脱却を目指した。でもどうすればいいかわからず混乱が起き、結果として独裁になった。恐怖政治で5%が収監され飢餓に満ちていたがそれでもロシア帝国よりはマシであった。以前は農奴がいて富の集中度が高かったのだ。ソ連では指導者と労働者の給金の差は比較的緩く収入の不平等も低かった。とはいえ移動の制限など別の不平等はあり、また生活水準は西洋に比べ低いままだった。崩壊後はショック療法でオリガルヒに巨大な富が集中した。公式統計は不透明で資本逃避が起きている。中国も改革開放後は非常な速度で不平等が拡大している。不透明な制度のくせに党員はちゃんと人民を代表し優れた委員会が議論をしていると嘯いているが、西洋に対する批判には耳を傾けるべきだ。メディアが機能せず金権政治となっているという指摘はその通りだ。東欧はEUに吸収されたが幻滅は根強い。不平等が拡大し、対して賃金が伸びないことにつき仏独の資本家への不満が高い。
超資本主義と呼べる現在、80年代からはどこの国でも不平等が増加している。最も不平等なのは中東の産油国だ。気候変動への興味が高まっているが自然資源を国民所得に取り入れるのは難しい。CO2の一人当たり消費量は先進国で高く、これを改善するには累進的炭素税を導入するといいだろう。土地その他資産の管理を任されているのは私企業であることが多く、先進国では富裕層がどれだけ稼いで資産を持っているのかのデータがどんどん不透明になってきてしまっている。女性が所得上位1%に占める率は相変わらず低くなかなか追いつけていない。貿易の自由化で関税という収入源をなくした途上国は税収が国民所得の数%ほどしかなく基本的なサービスしか提供できていない。リーマンショック後の欧米の中央銀行は量的緩和を続け債券を買い漁っている。大恐慌は防いだものの構造改革が進まなくなり貧富の拡大にも繋がっている。メリトクラシーを強調し勝者を崇め貧者を叩くという思想が根強い。億万長者が栄誉を横臥している。
仏でも米英でも1950年代の左派は教育の無い労働者のための党だった。でも現在では逆転し高学歴のための党となっている。資産を持つ人は一貫して右派を支持してきた。女性は50年代は右派を支持したが、現在は左派を支持している。右派を支持する宗教はキリスト教だけ。アフリカに先祖を持つ人は左派を支持する。宗教と民族は分離の基盤として無視できない要因だ。さてこの逆転が生じた理由は、伝統的に労働者のために教育を重視してきた左派が高学歴者に支持されたからだ。ちなみに現在のフランスは教育は非常に不平等となっている。知識階級のバラモン左派と商人階級とのエリート間の争いとなり貧者は取り残され投票率が低い。国際派か移民排斥か、平等化不平等かの二軸で2017年のフランス大統領選はきっちり4候補が20%超の指示で分かれている。これは不安定な状態であり移民排斥社会主義がのさばる可能性が残っている。市場重視のEUを支持したのは金持ち層で金融資産に課税されるのを妨害している。
アメリカでも同様の逆転現象が生じ民主党は高学歴者の党になった。人種は政治に亀裂を生み黒人の9割、ラテン系の6割が民主党に投票している。アメリカの方が仏よりも人種の差が固定的である。これは白人の差別主義者が民主党支持を取り下げたからではない。長期的な変化だし人種が関係ない場所でも同じ傾向があるからだ。それより、最も不利な人の生活水準を上げるよりも教育の平等を掲げていることがこの原因だ。強い累進課税に戻ろうという意思は民主党にも見られない。同じように高学歴の商人階級と利益が一致するからだろう。英も同様だが米仏に比べ緩やかに生じた。ムスリムは労働党を支持している。移民が政治問題になった。EU離脱を支持したのは低学歴・低収入層だった。労働者の自由な往来だけでは不十分であり財政出動による保護がなくては失敗するのだ。
日本を除く全ての先進国でこの左派の支持層の逆転現象が見られる。旧東欧では市場への幻滅から移民を排斥し貧者には手厚く再配分を行うという政党が人気を集めている。ハンガリーでもイタリアでも同じである。国際社会を嫌うという傾向からこれらの政党は欧州内で真の再分配を行う主体とはなれない。インドや米の連邦制を見習いつつ欧州の伝統を引き継ぐ欧州議院を作る必要があろう。人口に応じ代表がいて所得税法人税資産税を決め国家間の所得移転は上限を設け(非難を避けるため)再分配を行う新しい制度だ。租税競争に負けないよう累進税を廃止してしまうという小国症候群を克服するために税は国々で協調して決めるといい。インドは独立後ずっとINCが政権を維持したが1990年からはそれが変化しヒンドゥーの伝統を強調しイスラム排斥を掲げるBJPが台頭してきた。この支持基盤はバラモンで、政府や学校における低所得者枠に反対している。ムスリムや低カーストやその他階級(OBC)は違う党を支持し、西洋とは対照的に階級闘争となっている。BJPは切り崩しを図りOBCからの票を得ている。ブラジルもまた階級闘争だ。アイデンティティと階級は政治の理解に欠かせない。制度の変化にはイデオロギーを要する。ポピュリズムと雑に呼ぶのはやめ、財政社会教育システムをどうすべきか歴史に学ぼう。
最後の章では誰もが教育や医療など必要な財を利用でき社会に参加でき討議する連邦社会主義を提唱する。労働者も経営に参画させる。そして富の固定化集中化を防ぎ循環させるために累進所得税・累進相続税・累進資産税を導入し資産を透明に管理するのだ。また一人一人に若い頃に資産を与えて運用させるといい。富豪が死んでからではなく若くして財産を利用できるようになる。低額の政治バウチャーで金権政治を防ぎ累進的炭素税で環境に配慮し平等に教育基金を与えて教育程度を決めさせる。金融の透明性と税制の執行と環境配慮のために国際的に強調する必要があろう。


・資産を社会に循環させるためにラディカルマーケットとまるで違う発想が出てくるのとてもおもしろい。
・教育が無い人は左翼を支持しなくなったとあるけど、左翼の政策は常に教育を重視してるから、教育がなく貧しい人は教育政策をどうでもいいと思っているということなのだな。もっと他に施策が必要と。
・ケインズやハイエクなど保守のスノビズム叩いてる箇所結構あるけど本書の主張を裏付ける逸話としたら現代では左翼でも右翼でも高学歴者が低学歴者の苦しみに冷淡だというネタを盛り込んだ方が良かったのでは
・楽しませてもらったのであんまフェアな言い方では無いかもだけど歴史に学ぼうと言いつつ恣意的に歴史解釈を始めるの大陸左翼の伝統だなーとか思ってしまった。

あと面白かったところ抜粋
・「インドは亜大陸を一つにまとめてるけどイギリスは20世紀初頭にアイルランドを失い今はスコットランドを失いそう」イギリスへの皮肉キレッキレだな!
・物語で英雄が出てくるのは三身分制の特徴
・所得を直接把握するのが嫌われたから窓税がある
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2019年10月21日

より良い税制を作ろうではないか!

The Triumph of Injustice: How the Rich Dodge Taxes and How to Make Them Pay

The Triumph of Injustice: How the Rich Dodge Taxes and How to Make Them Pay
The Triumph of Injustice: How the Rich Dodge Taxes and How to Make Them Pay

Emmanuel Saez, Gabriel Zucman

税は金持ちが負担すべきか?経済学者の仕事は主に現状を明らかにすること。著者は金持ちの税の抜け穴を塞ぐ良い課税案があると力強く説得してくる。
GDPではなく国民所得を見てみよう。GDPは国内の総生産で、これに資本の償却を引き海外からの純所得を足したものが国民所得だ。アメリカの一人当たりGDPは9万ドルだけど国民所得は75000ドルになる。さて所得下位50%の所得平均を見ると18500ドルしかない。その上40%までの中流の平均は75000ドルとなる。所得上位1%が占めるシェアは上がり続けている。さて税を見てみよう。所得税は税収の1/3を占める。配当や退職金や留保利益は免税となり、課税可能収入は所得とは一致しないのだ。1980年には71%の所得が課税できていたが、課税ベースは萎みに萎んだ。給与税は132900ドル以上の収入だと免税となり逆進的になっている。消費税は燃料やアルコールなど物品税として課されておりこれも逆進的。法律上ではなく経済的に誰が税を負担してるかというと結局のところ国民である。所得のほとんどの層には28%程度の一律税となっているが、上位400人くらいは20%しか負担していない。これは所得が課税を免れ法人税も課せず控除を受けているため。税収の上げやすさや公平の観点や不平等を防ぐ観点から直したほうがいいだろう。
17世紀のアメリカは資産に課税することで税収を集めた。新大陸の税制は旧世界より累進的だったのだ。南北戦争で所得税は導入されたけどしばらく違憲とされたけど1913年に実施された。固定資産税が累進的なのと格差是正の側面を持つという点で米国は世界の先を行っていた。1951年から63年まで所得トップ層の限界税率は91%で、租税回避は起きたものの国民所得の推移を見ると課税前収入の不平等は実際に減ったことがわかる。
レーガン政権でこの状況は一変した。限界税率は28%まで落ちたのだ。イデオロギーの影響もあるけど、租税回避が横行し金持ちへ課税できないと嘆いていたのも大きい。でも、1930~1986年の間に租税回避を防ぐことはできていたのだ。キャピタルゲイン課税は25%で所得税は90%だったから所得じゃなくてキャピタルゲインでもらう誘因は大きかったけど自社株買い戻しは違法とされてた。税控除を受けるためだけに損害を計上する租税シェルターはレーガンの就任までは流行っていた。レーガンは減税と同時にこれを撲滅すると公約し、それを果たした。貧者は脱税し富者は節税するという俗説はあるけど、IRSの監査のデータやパナマ文書を見るとまるで逆なのがわかる。普通の人は税を回避するのは難しいけど金持ちは様々な手法で回避できる。でも絶望する必要はない。海外銀行は顧客のアメリカ人がどのように収入を得ているかIRSに情報を伝えるという条約が国際的に交わされた。脱税をどこまで許すかは政府、ひいては人々が決定することなのだ。
法人税はずっと下がり続けている。グーグルやアップルはバーミューダやアイルランドに会社を設立し、利益を移すことで課税を逃れている。社内の取引で商標やらロゴやらを移転させているのだ。多国籍企業の40%、アメリカのそれは60%もが租税回避地に利益を移しているという推計がある。そういう国々は主権を売り渡して世界中から税収を奪うことで利益を得ているのだ。実際の経済活動は租税回避地には移らない。国際的に協調してこういう逸脱を潰す必要があるけど現状はうまくいっていない。
アメリカは税負担が低いとされているが保険料を考えるとそんなことはない。いっぽうで法人税は下がり続けている。生産には資本と労働が必要で、このうち弾力性が低い方が法人税を負担していることとなる。一般に資本は弾力性が低いと言われてきていてそれなら課税しない方が良いという極めて有名な議論がある。でも実際には法人税が高い時期にも投資は行われているし、資本は税よりも規制に反応するのだ。法人税率を低くすると法人化で給与を誤魔化すことが横行してしまうから直さねばならない。
でもこれは以下の手段を取れば解決できる。まずは、各国がそれぞれの多国籍企業を監督すること。フィアットがジャージーに利益を移して0%を収めたとしても、イタリアは伊企業として支払うべき法人税率例えば25%を徴収してしまえば良い。各国が最後の課税者として振る舞うのだ。そして各国で協調して最低課税率を決めること。そして従わない国に制裁を科すこと。こうすれば二重課税を防ぐ条約には違反しないし今すぐ始められる。
税収を最大化するために累進税を課すなら弾力性の低いものに課税すべきで、収入が集中してるようなら富裕層に多く課税すべき。租税回避は防げるし、課税所得は弾力性が低いのだ。限界税率を75%(平均では60%)くらいにすると良い。このために公民保護局を立ち上げ、租税回避を見張り海外の税実践を監視させよう。キャピタルゲインを含めどんな収入も同じ税で扱うようにし、法人税と所得税を統合し、資産税を課せばこれを達成できる。資産は隠しにくい。会社の株が取引されていないようなら市場を作り出し、資産税として代わりに納めるようにできるようにすれば良い。オークションにかけて正しい価値が割り出せる。
1946-1980はほとんどの所得層が2%の収入の伸びを得ていた。でも1980年以降ではトップ層しか伸びていない。フランスと比べるとアメリカの労働階級の伸び悩みは顕著だ。不平等は権力の不公平を生むし、富裕税の正統性が増してきている。
保険料は給与税から支払われていて非常に逆進的になっている。そこで著者は一律の所得税を提案する;労働収入も企業の利潤も利子も同じ率で課税するというものだ。教育や金融は免除されるVATと異なり税源は極めて広くほぼ100%だし、生活保護受給者には負担がない。より良い税制を作ることはできると力強く呼びかけている。

・taxjusticenow.orgで税率と税収の計算ができて楽しい。
・累進課税の淵源をアメリカに求めてるけど、代表なくして課税なしの精神もまたアメリカだと思う。
・所得の計算かなりツッコミが入ってるので解決策はともかく数値は注意を持って見守りたい。主に法人税は誰が負担してるのかという点について議論になっているのだ。
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2019年10月09日

民主主義という狭き回廊

The Narrow Corridor: States, Societies, and the Fate of Liberty
Daron Acemoglu, James A Robinson

The Narrow Corridor: States, Societies, and the Fate of Liberty
The Narrow Corridor: States, Societies, and the Fate of Liberty


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人は自由に生きるためには法を要する。無政府状態だと常に脅威に晒されており自由とはいえない。強力な中央集権政府があればいいかというとナチや中共の失敗を見れば明らかだ。強い規範で人を縛る社会もまた息苦しい。社会がしっかり国家権力というレヴァイアサンに手錠をかける必要がある。
アテネのソロンは債務奴隷や人質を禁じて市民の権利を強化すると同時にエリートの支配もまた強めた。政府が強すぎても社会が強すぎてもダメで、人が自由であるためには両者が赤の女王競争をし続けて能力を伸ばしていかねばならないのだ。アメリカ建国の父たちもこれを理解しており、州議会の力を砕いて国を一つにまとめるために専心した。強力な政体が現れるのを忌避したナイジェリアのティブ族やレバノンはついぞ有効な政府を持てなかったし、社会が弱すぎた中国は権力を制御しきれず教育制度にすら賄賂が横行して必要な機能を果たせていない。自由を担保する政治制度に至るのは狭き回廊だ。
タブーだらけの社会には権力への意志を持った人物が現れるものだ。ムハンマドとシュワルナゼは部外者として紛争を解決し調停者として力をつけていった。ズールーのシャカは部族を超え迷信を破り国家を建設した。カメハメハは銃を使いこなしハワイをまとめた。彼らは自由を与えたいがために国家を作るわけではないのでこれらの事例で政府に手錠はつかなかった。
ハルドゥーンは税収のラッファーカーブを指摘したが、実際専制国家のカリフは生産性を高めたり工夫したりすることを阻害した。シャカもカメハメハも貿易や産業を独占した。シュワルナゼに至っては政治的に地位を固めるために経済をわざと混乱に陥れた。
フレスコ画に描かれているように、13世紀のシエーナではコムーネが発達し国家権力に制約が加わっていた。税を集めるのにも優れ、手形や帳簿や法人など商業技術が発展した。トルティーヤが発明されたのは運搬する必要があったためだが、これはモンテアルバンが民主的で都市化が進み多くの人が移動していたのを示すのだろう。
フランク族はもともと参加型の政体を持っており、これにローマの高度に発達した官僚制度が加わり赤の女王競争の狭き道を通り始めた。強い政府だけではダメなのはビザンチンの没落を見れば明らか。イギリスもフランスの影響を受けた。マグナカルタや権利章典はイギリスに限ったことではなくヨーロッパの多くの地域で見られる傾向となった。工夫を妨げないことから産業革命にも繋がった。
儒教は優れた人は官職に就くべき、能力により測られるべき、為政者は民のために尽くすべきと説く。一方で、商鞅から連綿と続く法律至上主義は政府の力を強めようとする。中国の政治は常にこの2つの方針の間で揺れ動いてきた。部族社会は政府に依存し、塩売買など商業もまた政府の影響下にあった。中国共産党政府はこの伝統を引き継いでいる。大躍進政策は商鞅のそれ、改革開放は孔子のそれだ。専制政治は必ずイノベーションを阻害する。ソビエトや北朝鮮が技術を伸ばしたのは政府の需要がとても強い特殊な分野においてにすぎないのだ。政府に振り回されるようでは発展しきれない。
古代のインドは参加型の政体を持っていた。でもカースト制により社会が分断されてうまく機能しなくなり、各カーストはお互いに権力闘争に走り政府を監視することもその能力を高めることもできなくなってしまった。侵略者のムガル帝国もイギリスも独立後のインドも政治が分断されているのだ。国家権力がカースト制を実行していた。
同じようなショックも国により異なる影響をもたらす。軍事化を例にとればこうだ; スイスは地域に分かれていたが、ハプスブルク家の脅威に対抗するためにまとまり政府の能力を高め狭き回廊に入った。大選帝侯フリードリヒは軍事化を進め、プロイセンは専制国家となった。絶え間ない争いに晒されたモンテネグロは無政府状態のままであった。ソビエト崩壊を例にとればこう; ポーランドは市民が力を取り戻したことで狭き回廊に入った。ロシアは汚職や秘密警察などが暗躍し専制国家となった。タジキスタンは無政府状態のままとなった。コーヒーを例にとればこうなる; 小さく独立したコーヒー農家があったコスタリカは狭き回廊に入り、強制労働を利用したグアテマラは専制国家となった。政府と社会のせめぎ合いで明暗が分かれるのだ。
フェデラリストは建国にあたり南部の離反を防ぐために奴隷制の存続を認めた。これは黒人の権利に大きな影を残した。アメリカは鉄道建設も郵便もとにかく私企業頼みの国で、これは連邦政府が力をつけるには時間がかるから。社会が活発に成るときもあるけどFBIやCIAなど市民の監視から外れるような動きもある。
ろくに機能しない張り子の虎政府は世界中にある。これは支配者が社会の活性化からの失脚を恐れて優秀な官庁を作らないため。ラテンアメリカは不平等な社会を植民地時代から引き継ぎこのような政府となった。法の支配が行き届かず経済的に反映するのは困難となる。
サウジアラビア国民は規範の檻に閉じ込められている。宗教的権威が政治制度と一体になって女性の権利を無視している。聖戦を唱えテロに走るのが中東の特徴だが、これは対話ができないためなのだ。
分極化が進む政治制度は狭き回廊から転がり落ちてしまう。土地所有のエリートが共産主義者と妥協できなかったワイマール共和国も、左翼が暴走したチリも、過去のイタリアもその例だ。ドイツやチリは民主主義の土台があったから運よく戻れたが、分断を煽り自分こそが声だとのたまうポピュリストには警戒せねばならない。
二次大戦後の日本は米により無理やり軍隊が放棄させられ、専制国家から民主国家へと狭い回廊に向かった。強制労働は回廊を狭くする二つの効果を持つ; 社会の階層化が進みバランスを取るのが難しくなり、既存の経済システムを維持しようという動機が生まれる。工業化の進んだ南アフリカではこの効果が薄れ、活性化した社会運動と合わせてアパルトヘイトを廃棄できた。グローバル化で農業に特化すると回廊は狭まり、工業に特化すると広がる。民主化に繋がった韓国が好例だ。国際社会は人権を保護することもあれば独裁者の顔を立てることもあり、効果は曖昧。
政府と社会が同時に強くなったスウェーデンから学べることが三つある。まず、政府の役割を拡大しすぎると政治的なコストがかかること。そして、組合のように経済的には非効率な団体も政治的には役立つこともあること。最後に、価格をいじらず税収を高くして再分配するより、価格をいじってしまった方が政府を取り締まる上で有利になる場合もあること。グローバル化や自動化やテロの恐怖など政府に求められる役割は今後も増えていくが、社会の強化と信頼の醸成が重要なのだ。

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・同じ原因から異なる結果を導くのがほんと鮮やかで痺れる。
・中国の理解がちょい雑のような。商鞅が専制的法治国家を推し進めたとあるけどそもそも彼は三つあるうちの最悪のやり方として覇道を勧めたはず。あと井田制が発明されたのは秦ではなくずっと昔。ケ小平が孔子路線と言われてるけど天安門は?などなど。
・ブレないのが政治家の美点と思ってたけどワイマールの例を見るとどうもそうではなさそう。妥協万歳!慶喜公とかすごい。
・日本に引きつけると、9条に抵触するだろうから文書破棄するみたいな動きをする自衛隊や防衛省はほんとゴミゴミ&ゴミ。説明責任を果たしてもらえる制度を作ろう。常に政府を見張るようにしたいものですね。
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2019年06月25日

貧困のはかりかた

所得の不平等についての大家が貧困をいかに測るかについて語っている。
Anthony Atkinson, Measuring Poverty Around The World

Measuring Poverty Around the World
Measuring Poverty Around the World

貧困を定義するのは難しい。まず政治的な定義として、必要最低限の収入を考えてみる。政治的な定義は政治家の動機づけにつながり、正しい統計を示して政府をチェックする必要がある。次に、主観的な貧困について考えてみる。先進国からの分析ばかりで途上国の声が反映されていないという批判はよく聞かれる。自身が貧困状態か聞いたり、貧困を避けるために必要な消費はどれくらいか聞いたり、それが家計や人口全体でどれくらい満たされているか調べたりするという方法がある。色々な貧困線を導入したり、非金銭的な指標を導入するという手もある。著者はまず生理的に必要な消費量に重点を置くアプローチを考える。単純な方法だが価格を調整したり食事以外の財も考慮する必要があるので完全に機械的に決まるわけではない。次にセンにより提唱されたケイパビリティアプローチを考える。これは人々が生きる上の目標を達成することをどれだけ阻害されているかを見ていくことを意味する。実際に取られた行動のみならず妨害により取られなかった行動も考慮するのが特徴だ。人が潜在能力を発揮するには周りの社会に適応している必要がある。そういう媒介性を考慮できるのも特徴となる。他にも貧困を人権として捉えたり、絶対的・相対的なそれがあるとみることもある。色々な定義は色々な場面で有用なのだ。
どれだけ貧者がいる、みたいな主張を聞いたときいくつか気をつけるべき点がある。まずは、何が測られているのか。消費か支出かは耐久財を考えれば違いが出るのはわかるだろう。消費ベースのジニ係数は収入ベースのそれより低い値がでる。そして、パネルデータかどうか。慢性的な貧困は一時的なそれと区別すべきであり、同じ家計を追ったデータが必要となる。また、生活費がどれくらいなのか購買力平価で考えなくてはならない。そして、誰を図っているのかも問題となる。個人なのか、家族なのか、家計なのかで問いが異なる可能性がある。金銭以外の貧困もまた重要。そして、何が数に入れられているのか。貧者の頭数を見るより貧困ギャップを見る方が精確だが、コストがかかるのでそうできない場合が多い。
データが欠けていたり比較可能性がない場合は多い。例えば都市と郊外の定義を見てみてもどの国でも同じというわけではない。例えばCPIはラスパイレス指数だと生活費を過剰に見積もりがちになる、というのも財の代替を考慮に入れられないから。貧者は移動にコストがかかりがちでより生活費がかかるかもしれない。貧困を考慮するには価格がどうなっているか調べるのは重要な問題。色々なサーベイを見て三点測量のように突き合わせなくてはならない。
国際貧困線は理解を深めるのに役立っている。持続可能な開発目標がどれだけ達成できているかや、国際的な流れが国内の数値にも沿っているかなどチェックすることが可能となった。
気候変動への対策と貧困削減とはときに対立しときに補完する関係となる。数字は揃ってきており、政治を動かす時期に来ているのだ。

遺稿なのでまとまりがなく読みづらいものの、データを見るときに気をつけるべき点がわかりやすく解説されている。おすすめ。
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2019年06月19日

固定観念、犯罪、そして法執行

固定観念が犯罪や法執行にどう影響するか分析した本が出ていた。

Brendan O’Flaherty, Rajiv Sethi, “Shadows of Doubt”

Shadows of Doubt: Stereotypes, Crime, and the Pursuit of Justice
Shadows of Doubt: Stereotypes, Crime, and the Pursuit of Justice

人間は固定観念を持つ傾向があり、しばしばそれは現実とかけ離れたものになる。自己申告の調査では黒人を迷信や怠慢と結びつける人は減っているが、音楽と結びつける人は増えている。既存の偏見に合う証拠は採用され合わない証拠は棄却される傾向にある。でもこの方法だと世間的に受け入れられる返答をしがちだ。そこで新たな方法として反応時間の変化を見るというものがある
; 黒人や白人の顔を見せながら単語を好ましいまたは不愉快であると分類させるのだ。実験室だと黒人は武器に結びつけられやすく、白人は無害な物体と結びつけられやすい。しかし実際の警官に同じような作業をこなさせると武装黒人に対してはゆっくり反応し無害な白人に対しては誤射するという結果がある。訓練や公的な圧力は無視できない影響を持っている。異人種間の接触の後には認知能力を要する仕事はしづらくなる。人は既存の偏見に対して行動をとるので偏見は自己実現する; 例えばチップをくれそうにない客には冷淡な対応になるしその結果実際チップが払われないことになる。固定観念がどういう誘因を作るか分析することが必要なのだ。人種について本質主義をとる人は多い。また固定観念は一度に捨てられることはない; どの内容が捨てられるかは階層的なもので、人種については偏見に沿わない証拠はなかなか捨てられない傾向がある。
犯罪は90年代以降減少傾向にある。著者は犯罪を二種類に分ける:盗用と破壊だ。殺人は殺害されないために殺害するという予防的側面を持つ。また強盗は犠牲者に見られるという特徴がある。
犯罪する人にとっては固定観念で暴力と結びつけられていると便利なこともある。強盗するとき恐れられていれば抵抗に遭わないからだ。白人は現金を持たないにもかかわらず強盗犯の目標にされやすいが、それは抵抗しないという固定観念があるから。犯罪率は減っているが強盗に遭った際の被害は大きくなっている。これはより必死な人が犯罪に及んでいるからといえる。
殺されるという恐怖から殺人を犯してしまうことがある。この恐怖は殺人を犯しても捕まらないだろうという状況でより増幅される。警官に対して信頼がない場所では目撃証言を得られず、暴力的な結果になってしまうのだ。酒や薬など禁制品を扱う場合は法に頼れず自力救済するしかなくなる。
著者は差別を二種類に分ける。一つは、異なる取り扱いという差別だ。これは人種や性で取り扱いを変えるという差別であり、動機が問題となる。もう一つは、異なる影響という差別だ。ある組織がある方針をとった際、業務上の必要がないにも関わらず特定の人たちに不利益を与える場合がそれに当たる。
差別をしているかどうか見るにはヒット率を見るという手はある。偏見から黒人を捕まえやすい場合、取り調べを受けた人のうちで実際犯罪をしていた人の率は白人のそれに比べて低くなるはずだ。とはいえこの平均を見るという手法には問題があり、ばらつきの大きい集団と小さい集団を比べると誤って検出したりしなかったりしてしまう。多くの犯罪は特定地域に集中している。警官が存在するだけで犯罪率は減る。わざわざ人種を検挙に利用する利点はない。
黒人は白人に比べて疑いを持たれやすく、逮捕されやすい。
恐れから殺害に及んでしまうのは警官も同じで、暴力と結びつけられている黒人は射殺されやすい。接触の多さが検挙率の差を生んでいるのかもしれない。地域ごとにかなり差がある。異なる取り扱いをしているのかどうか調べるのは難しい。
殺人の目撃証言を得るのは特に危険な地域では難しい。復讐される恐れがあるし警察も信頼されていないのだ。セクハラ被害を名乗り出る人は少ない。周りの沈黙は圧力となって沈黙を強いる結果になっている。記憶は曖昧で人種偏見の影響を受けやすい。
固定観念の虜になるのは判事や陪審団も同様で、黒人は死刑執行を受けやすく保釈されにくい。AIでチェックしてみたところ判事は再犯リスクの高い人を単に選んでいるだけではないようだ。もっと被告に優しい判断を下せそうである。
犯罪率は減っているものの収監率は70年代後半から上がり続けている。これには検事の裁量権の増大やその他の要因が関わっていて決定的な理由は不明だ。
検挙率を公開し、警官を増やし、経験を積んだ警官は職歴を伸ばしたくなるようにし、人種の融合した地域を増やし、正しい動機付けを行うなどの改革が必要だろう。薬物を合法化したり銃免許を厳しくしたりして犯罪を減らし、カメラを設置して警察の手続きを透明化したり、テーザーやドローンを増やすなどすることも良さそうだ。法執行機関から独立した第三者機関を作って目撃証言を集めるのも良いだろう。

なかなか人種問題から抜け出せないアメリカを見ることができて面白い。おすすめ。
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2019年06月14日

キブツの興亡史

Ran Abramitzky, The Mystery of the Kibbutz: Egalitarian Principles in a Capitalist World

The Mystery of the Kibbutz: Egalitarian Principles in a Capitalist World (The Princeton Economic History of the Western World Book 73) (English Edition)
The Mystery of the Kibbutz: Egalitarian Principles in a Capitalist World (The Princeton Economic History of the Western World Book 73) (English Edition)

ユダヤ人経済学者の著者は、自分のルーツであるキブツを分析している。

キブツは規模からいうとイスラエルの人口の2%を占めるにすぎない。でも農業でも工業でも生産シェアのかなりを占めているし影響力は大きい。なぜ成功していたのかを探っていく。
シオニストは20世紀初頭からイスラエルの地に完全な所得の平等を目指してキブツを建設していった。標準的な経済学が指摘するように、低い生産性の人物が集まってしまうし(逆選択)、勤勉に働かずただ乗りが起きるし、能力の高い人は他の社会に移ってしまうし、人的資本への投資を怠るという欠点を抱えている。しかし彼らはこれらの点を知ってか知らずか概ね解決していた。新境地を開拓するという人は多かれ少なかれ似たような境遇だったから逆選択はあまり生じなかったし、頭脳流出は固い絆を構築ーー所有権は放棄され貯蓄もなくまたプールやテニスコートなど公共財は豊富だったーーし離脱の費用を上げることで妨害し、プライバシーを認めず相互に助け合いかつ監視することでただのりを防止したのだ。家族のように助け合い規模の経済を達成したと見ることもできる。
労働参加率や労働時間を見るとしっかり働いているし、また文化もしっかり働くことを奨励している。狭い社会で監視されるのは有効だった。
低い生産性の人が入ってこないよう厳しく選別がなされたものの、やはり低賃金な人ほどキブツに入るという傾向は見られる。また非常に有能な人は離脱する傾向があるものの、その率は概ね低い。
教育には正の外部性があるため共同体としてはある程度までは教育を積んで欲しいものの、あまり教育がありすぎると外部の働き口に向かってしまうため望ましく無い。個人としては教育を受けようが受けまいがどうせ所得は平等になるのでしっかり学ぶ誘引は薄い。しかし試験結果などを見るとしっかり学んでいるようだ。
時が経つにつれてイデオロギーは薄まり、政権の態度は冷たくなり、外部の市場はより育った。困難を抱えたキブツにとどめを刺したのは80年代の金融危機だった。多くは負債を抱え公共財の提供ができなくなり、セーフティネットとして機能できなくなってしまった。90年代は改革が続き多くのキブツ内事業が民営化され賃金も差別化されるようになった。キブツの信頼は失われたのだ。
金融危機は自然実験として多くのことを教えてくれる。資産の豊富なキブツから離脱した人は少なく、平等な分配は保たれた。またイデオロギーに忠実なキブツも平等度は高かった。年寄りはあまり働かずまたイデオロギーにも忠実だが若い人の離脱を抑える必要があり、実際年寄りが多いキブツだと平等度が低いという傾向が見られる。
改革の早期と後期で比べると、より多くの高校生が高卒認定試験に受かっていて成績も上がっている。この効果は親の教育が低い子どもにより顕著に見られる。学生もまた環境の変化に反応するのだ。
北米には色々な共同体が平等を目指して入植した。長く続くにはキブツと同じように問題を解決する必要があった。外の世界から孤立するか同化するか、解決策は様々。誘引を軽視することはできないのだ。

繰り返しが多くて辟易するものの後半は面白い。おすすめ。

・著者は懐かしさを感じてるけど俺は不気味さを感じてどうも好きになれない。大学教育以上を望むと村八分なんて真っ平御免な社会だぜ。
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2019年06月11日

告発の構造

Patrick Bergemann, Judge Thy Neighbor

Judge Thy Neighbor: Denunciations in the Spanish Inquisition, Romanov Russia, and Nazi Germany (The Middle Range Series) (English Edition)
Judge Thy Neighbor: Denunciations in the Spanish Inquisition, Romanov Russia, and Nazi Germany (The Middle Range Series) (English Edition)

人はなぜ告発するのだろうか?お上に情報も力も与えてしまって自分の首を絞めることになっていってしまう。環境によりどう告発行動は変わるか?著者はこれらの疑問を解くためにスペイン異端審判・ロマノフ王朝・ナチスのゲシュタポの3つの事例を説明していく。
まず、抑圧は以下のように定義される。他人の逸脱行為を権威者に通知することだ。ここで、行為は必ずしも違法ではないし、しばしば政治的なものである。この後著者は二つのモデルを提唱する。
一つ目は弾圧モデルだ。権威者が民衆に告発するよう動機づけるーー告発すると賞賛ししないと罰するーー場合がこれにあたる。ここでは民衆はお上の保護や何らかの利益を求めている。二つ目は自発モデルだ。特に強制しないものの告発を奨励する場合がこれ。ここでは民衆はチクることで知り合いを陥れて得をしようと動く。告発の他の説明要因としてイデオロギーや安全保障や集団間摩擦は排除していく、というのもそれらは3つの事例において当てはまらないからだ。この二つのモデルは告発数が大きくなるという予想を生むがこれはまさにそのとおり。しかし、お上が念頭に置いている容疑者が告発されるかどうか、地理的に近いかどうか、関係が近密かどうか、社会的属性が近いかどうか、誤った告発がされるかどうかという点において違いが出てくる。弾圧モデルだと権威者に敵意が向かい、自発モデルだと民衆に敵意が向かうだろう。
さて、スペイン異端審判を見てみよう。イザベラ女王は統治の初期において決して盤石な基盤があったわけではなかった。彼女は権力を安定させるために様々なことをした。異端審問はその一つだ。最初の布告は弾圧モデルだったが、次の布告は自発モデルだった。前者ではお上が念頭に置いていたであろうユダヤ教徒が告発されやすく、後者では地理的にも関係的にも属性的にも近い相手が告発されやすかった。
ミハイル・フョードロヴィチ・ロマノフが王権を手にした際、権力構造は不安定だった。彼の王朝は権力を安定させるために告発を利用した。告発する人も牢屋に入れられてしまうリスクがあったり情報源としての秘密が守られない傾向にもあったがそれでも告発は絶えなかった。これは自発モデルの予想する傾向に沿っている。彼らはリスクにもかかわらず告発したがそれは衝動的・感情的な理由からだった。一方すでに投獄された人々は悲惨な牢屋から逃れようと告発した。これは弾圧モデルに沿っているが、取調べで一時的にマシな扱いは受けるものの望んだように罰を逃れることはできなかった。
ナチスもまた政権を握った後その基盤を固めるために告発を利用した。誰でも告発することができ、痴情のもつれでさえゲシュタポに通報されることもあった。これは自発モデルに該当する。過去の行いを罰するという特徴があり戦後もその影響は大きかったようで、ナチに協力したという告発がなされた。
告発でどのモデルを採用するかに関わる点は二つある。一つは正統性だ。権威者が民衆の服従を期待できるなら自発モデルで十分だけど、そうでないなら弾圧モデルが必要となる。もう一つは緊急性だ。のんびり構えていればいいなら告発者が現れるのを待てばいいけど、急いでいるなら密告者を採用して積極的に取り締まる必要がある。現代でも、司法取引や内部告発や犯罪通報や反テロといった場合には告発が利用されている。技術は進歩しているけど告発がなくなるとはまだまだ考えにくいようだ。

簡潔でデータも面白い。おすすめ。

・ロマノフ王朝の頃から密告だらけだったとかおそロシア。ソビエトでもそうだし歴史は繰り返すのだな。
・民主主義の醸成には信頼を要するという議論がよくあるし自分も納得しているけどドイツのゲシュタポの例はどうとらえたらいいだろう?告発して足を引っ張り合うような相手に信頼なんて生まれないわけで、でも今のドイツは押しも押されもせぬ民主主義国家なわけで・・・。ナチが悪いという神話が効果的なのか、それともドイツの民主主義は実は薄っぺらなものなのか。
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2019年06月08日

ロックの経済学

Alan Krueger, Rockonomics

Rockonomics: What the Music Industry Can Teach Us About Economics (and Our Future) (English Edition)
Rockonomics: What the Music Industry Can Teach Us About Economics (and Our Future) (English Edition)

著者は音楽業界を俯瞰し、現実の経済の分析に繋げていく。

音楽業界は変化し続けている。2000年代にデジタル化が始まり海賊版の横行でCD売り上げは激減したが、代わりに配信サービスが伸びてきて総売上は安定してきた。アーティストに直接お金が入る仕組みも発達してきている。ミュージシャンは収入の多くをライブから得る。慈善活動をすることもあり、知名度を上げるのは利益の向上に繋がることもある。
ミュージシャンは音楽が好きだからこの仕事を選ぶものの、自営業者なので経済的に安心するのは難しい。UBERやAirBnBなどの興りでギグエコノミーと呼ばれる短期雇用の形態が注目されてきているが、彼らはそのはしりだ。未払いに遭うこともある。イメージとは異なり、普通の人より教育を積んでいるがこれは集中して長期間練習することからくるのだろう。のし上がるまではバンドは公平に利益を分けるが、その後は中心の人がより分け前を得るようになる; そうでないと分裂するからだ。作曲が複雑化し宣伝の意味も兼ねてコラボが増えている。クスリや鬱の影響が大きい。貧困家庭からも夢を掴める。男が占める割合が依然として高い。
市場にスーパースターが生まれるには二つの条件が必要; 多くの客を相手にすることができることと、替わりが効かないことだ。音楽はこの条件を満たし、ミュージシャンの人気は冪乗則に従う。米英の経済は音楽業界と同じように不平等化が進み一部のスター企業は不当に賃金を低く抑えることができるほど成長してしまった。
ちょっとでも人気のものはより人気が出てくるのが音楽の特徴だ。幸運が重要なため、他の業界に比べて才能ある2世の活躍は少ない。多くは一発屋で終わる。しかしリスクを抑えるよう多くのジャンルのアーティストを抱えるレーベルはほとんどない。
ファンを搾取してはならないとの規範から長いことチケットの価格は低く抑えられてきた。そしてファンは日程調整が不透明だったり発売日を知らなかったりするため、ダフ屋が出現することになる。ダフ屋は一番高値を付ける人にチケットを配るという配分の効率性を高めるものの、一般購入者と競争するし中古市場での取引にはコストがかかるしという欠点もあるため、規制しても良さそうだ。実際Verified Fanというシステムはボットもダフ屋も弾いてちゃんとファンがチケットを買うようにできているため、広がるだろう。ボーモルのコスト病は技術の発展が著しい音楽業界には当てはまらない。とはいえチケットの価格は高騰し続けている。
ミュージシャンにとって契約は難しい。スターは高い前金やロイヤルティを得られるものの、新参者はそうはいかない。人気が出た後には再交渉の余地はある。多くのバンドは仕事仲間として10代の頃からの付き合いのある人物と接するため、どう分配するかの契約はやはり難航する。彼らの収入は予測しづらく、使いすぎてしまうこともある。
海賊版の横行で苦しむ音楽業界を救ったのは配信サービスだった。色々なアーティストの曲を色々なプレイリストで提供してくれる。宣伝にも使われているし個人の好みを情報として蓄えその人に合った曲を教えてくれる。著者は配信サービスにまつわる3つの誤解をとく。まず、ゼロ和競争ではない; どんどん客は増えるしそもそも一人のミュージシャンが占める割合は非常に低い。次に、配信サービスごとに払われている額はそのサービスの寛大さを示すわけではない; 利用者が多ければ額は上がる。最後に、アルバムの売り上げに配信数を相当させる方法はない。いくつもの配信サービスが客の利便性に関して競争しており、まだまだこれから変化しそうだ。
音楽の著作権を認めるのは難しい。メロディが違っていても構成が同じだと起訴されて負ける可能性がある。知的所有権は利益の一時的な独占を認めることで新しい製品を作ってくれる誘引を引き出そうというシステムだが、歴史的に見ると役に立ってこなかった。ちなみに海賊版の横行をもたらしたナプスターの登場前後で比較すると音楽の質も量も上がっている(が、コスト低下の貢献が大きいからかも)。とはいえミュージシャンを社会的に公平に扱ったり、業績を承認したり、政治利用されないなどのコントロールを与えるという側面があるからやはり保護する利点はある。現状ではラジオやyoutubeは不当に優位な扱いを受けており、色々なサービス業者が中立に扱われる法制度が望まれている。
人は自分の国の音楽を聴きがちだけど2004年以降はその偏りが減ってきている。ミュージシャンは多様化しているのだ。中国の音楽市場の拡大は目を見張るものがある。政府が介入するリスクはあるもののこれからも巨大化するだろう。
音楽を聴くのは楽しい。通勤さえ楽しくなるし楽しい経験はもっと楽しくなる。脳の治療にも良い。余暇をどう使うか頭を悩ませてる人は、音楽を聴くという楽しい経験にお金を使うと良さそうだ。

多くのミュージシャンのインタビューも楽しい。おすすめ。

・楽しくて弾いてるんだから著作権なんて認めなくていいと思うけどなあ。アレンジ上手い人にじゃんじゃん弾いてもらった方がいいしコントロールしないでくれた方がいいわ。
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2019年06月06日

なぜの本ーー観察研究の復権

「なぜ」を説明することに正面から取り組んだ本が出ていた。Judea Pearl, Dana Mackenzie, The Book of Why

The Book of Why: The New Science of Cause and Effect
The Book of Why: The New Science of Cause and Effect

因果関係は3段構造になっている。1段目は連関で、これは観察したものについての予想をする。例えば、「歯磨き粉を買った人はデンタルフロスを買うだろうか?」という疑問はこの段階。機械学習はこの段階にいるに過ぎない。2段目は介入で、これは環境を変化させた場合の予想をする。例えば「歯磨き粉の価格を2倍にしたときのフロスの売れ行きはどうなるか?」という疑問はこの段階。観察するだけでなく実際に世界を変化させないといけないから段階が異なるのだ。他の要素が絡んでいるかもしれないから観察結果だけ(1段目)ではこの疑問には答えられない。実験で答えるような疑問がこれ。3段目は反実仮想で、これは「なぜ」について答える。時を巻き戻してそれが取られなかった場合について考えることになる。例えば「歯磨き粉を買った人は価格を2倍にしたときどれくらい買う確率があるか」を問う。世界が変化した理屈を考えるのは因果関係の仕事であり確率の仕事ではない。
いかに知性や身体の特徴が遺伝するかを探る過程でゴールトンはしくじり、平均への回帰を説明しようとして因果関係を結局は放り出すこととなった。統計から因果を放逐しようという教義はその後根深く残り、ピアソンもフィッシャーも相関にだけ気を配り続けた。しかしシューアル・ライトはパス図を開発した。これはどの要因がどう効くかを係数と矢印でもって示したもので、因果を説明する大きな飛躍となった。問題設定者が仮説を持って書き下さなければならず、データに語らせるということはできないのだ。
「起こりそうにないことが実際に起きたと納得するにはどれくらい証拠が必要だろう?」ベイズ牧師の頭を悩ませていたのはこういう疑問だった。ビリヤード台のある位置までに止まる確率は計算しやすいが、球の止まった位置からビリヤード台の長さを推測するのは非常に難しい。結果から原因を推測するにはかなりの情報が必要となる。AIの発達にあっては世界ではなく専門家の行動をモデル化しがちであり、失敗が続いていた。そこでベイジアンネットワークはいくつかの変数をまとめ、人間の脳が情報を伝達させる方法に似せることにした。階層構造にして信念を伝達させるという方式でベイズの法則に従うというものだ。カバンを見つけたり犠牲者のDNAを調べたり電話に使われたりと広く応用されている。
RCTはしばしば黄金基準と言われるがこれは交絡変数のバイアスを避け研究者の不確実性を量で表せるからだ。そもそも交絡変数というのは統計学の概念ではなく、計りたいもの(因果関係)と統計的方法で測れるものの間に存在する。ここで著者は因果関係ダイアグラムではっきりどの変数がどう影響しているか書くよう提唱する。A→B→Cという繋がりならBをコントロールするとAからCへの情報は遮断され、A←B→Cという繋がりならやはりBをコントロールするとAからCへの情報は遮断され、A→B←Cという繋がりならBをコントロールすると逆にAからCへ情報が流れるようになる。変数から変数へ情報が流れるようにコントロールする変数を選んでいけば良い(裏口基準, back door criteria)のだ。この考え方はシンプルかつ力強い。タバコが肺がんを引き起こすことも、モンティ・ホール問題がなぜ混乱して見えるかも、シンプソンのパラドクスがなぜ混乱して見えるかも解決してくれる。情報がどのようにして得られるかは情報自体と同じく重要なのだ。著者はまた玄関基準(front door criteria)というものも導入し、変数から変数への介入効果を示していく。do作用素を利用することで階層の1段階目のデータ(seeing)を使って2段階目の介入(doing)の影響を測ることができるのだ。観察研究の復権と言える。
シトラスは壊血病を防いだが、酸味が壊血病を防ぐと誤解されたからか次第にビタミンを含まないようなもので防ぐことができると勘違いがなされるようになってしまった。直接どれだけ効いているのか測るのは非常に重要な問題と言え、何人もの統計学者を悩ませてきたこの媒介分析も3段階目の反実仮想を利用し鮮やかに解いていく。大学の入学審査が差別をしているのかも、教育がどれだけ雇用に効くのかも、教育政策がどれくらい成績を伸ばしたかも、同じ枠組みで解ける。反実仮想の素晴らしさは、政策の結果が誤っていたときにどう正せばいいかわかることだ。
ビッグデータの時代にあってデータが全てを語るという安易な立場に著者は懐疑的だ。強いAIは反実仮想を扱って自ら学ばなければいけないだろう。

因果推論について非常にわかりやすく説明されている。挿絵も非常に可愛らしく、おすすめ。
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