2012年02月26日

ロシア経済での政治戦略

ロシア経済での政治戦略に興味が湧いたので目を通してみた。

"Without a Map: Political Tactics and Economic Reform in Russia", by Andrei Shleifer , Daniel Treisman



「ショック療法」の批判は、その当時のロシアで政治的に可能だった手段が限られていることを見落としている。民営化、マクロ経済の安定化、税改革に関して、以下の三つの戦術を当てはめていく。
☆圧迫;利害関係者の一部に権力を与えて他の関係者を収用させること。
☆離間;政策の反対者の一部に利益を与えることで味方につけ、一枚岩を切り崩すこと。
☆削減;味方にするために必要な利益を、コストがより低いものに乗り換えること。

2章は民営化について。キーとなったのは、(1)経営者を選ぶことの出来る産業担当大臣、(2)経営者、(3)労働者、(4)地方政府だった。資源その他の産業は民営化しないことで(1)に譲歩し、(2)と(3)には安価でバウチャーを配布し、中小企業の監督を認めることで(4)に譲歩した。過半数のシェアを経営者と労働者で分けるというオプションが主に使われた。そして民営化された企業のほうが活発なことが示されている。
3章はインフレについて。ソ連崩壊後のロシアでは税収が伸びず、農業その他の部門から補助金の要請に応えるにはインフレ税をとることになりがちだった。ともあれ1995年にはインフレは収束した。まず商業銀行で準備要求を上げ、次に外貨準備の要求を上げ、そしてその他の貨幣の要求を上げていった。新しい政体になるとインフレ鎮圧しやすいとか、党派対立があると安定するとか、危機のせいだとか、統一された政府のもとなら安定するとか、中央銀行の独立性といった見解を批判的に検討している。
4章ではインフレ収束の政治戦略をみる。中央銀行、贔屓された商業銀行、補助金の与えられた企業と農家は他の国民を犠牲にしながらもインフレによって得をしていた。中央銀行は貸し付けから利子を得ていた。またいくつかの商業銀行は信用を与える権利をもっており、また預金者に負の利子をつけることで得をしていた。政府証券(GKO)の発行は、企業と農家にとっては信用を得ることができ、また銀行にとっては政府に「貸し付ける」ことになるのでインフレに反対するインセンティブを生むことになった。
5章では予算の伸びが低迷し、経済成長も進まなかったことが示されている。一人当たり収入は低く、連邦制で、民主制にも自由貿易にもなれていないこと、これらが汚職の蔓延の原因となった。特にロシアが特別というわけではないのだ。
6章は連邦の税制について。連邦、地域、地方といった政府全てが独立の予算を組む権限を持っていた。そして税収はそれらにより共有された。また地域政府はどのようにシェアをするか決めて良いことになっていた。地域政府も地方政府も新しい税を導入して良いことになっていた。税務署は連邦に属していたが、地域からの支援が必要になっていた。このため税の取り合いが生じ、地下経済に逃げたり物々交換が蔓延ることになってしまった。
7章は税制改革の失敗について。連邦政府、地方の首長と立法府、市区の市長と区議会、ガスプロムやルコイルといった大企業、税務署といったプレーヤーのインセンティブを無視した改革は全て失敗に終わった。やる気が無かったわけではなく、大企業や地方政府からの妨害に遭ってしまったのだ。
8章は税制改革の提言。(1)連邦にも地域にも地方にもそれぞれ税務署を作る。(2)地方には小さな企業に税を課したり所得税の税率を決めたりする権限を与える。(3)地域政府には大企業に法人税を課す権利を認める。(4)連邦政府は付加価値税および関税を課す権利を得る。(5)税源がかぶらないように法律で定める。これらは完全には効率的ではないが、政治的な支持を得ることはできる。
9章はまとめ。ロシアの指導者はこれからも政治目標の達成のためには戦術を組まないとならない。道無き道を往く。

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(感想)
・民営化されたほうが国有化された企業よりマシな経営をしているそうだけど、さて東電の運命やいかに?放漫経営だから国が監督するとか、理屈の面からも実態の面からも狂気の沙汰に見えるよなー。
・文化で説明を付けようとしたら負けみたいなのって、いいよね。一見傲慢だけど、文化だからしかたないやという無気力に抗ってて、前向きで。
・しかし共産主義といいショック療法といい、いつもやることが過激だなこの国。体を張ったギャグ。。。
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2012年02月25日

ビジネス書に望むこと

こんな本になっていて欲しい。

・各ビジネス書は、それを読んでいることがバレても不都合にならないような内容を収めるべし
書棚に『打算的に人間関係を構築すべし』なんて説く本が並ぶ人の家に招かれたくないよね?
by Reid Hoffman, Ben Casnocha

・「〜すべし」ではなく、「〜すべきとは限らない」で書くべし
論理的に正しい形。詳しくは「ヘンペルのカラス」でググろう。
ただし煽る効果は薄れる。

・本の戦略を読者がとってくれることが《著者の》メリットになることもうまく説明すべし
下策;読者にとって得になります!
中策;読者にとって、そして社会にとって得になります!
上策;読者にとって、そして社会にとって、なによりまして著者にとって、得になります!
正直者に見えるんじゃないかな。
posted by Char-Freadman at 03:50| 北京 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

出発点!

LinkedInの創業者でエンジェル投資家でもある著者が語る、ベンチャーの心意気。

"The Start-up of You: Adapt to the Future, Invest in Yourself, and Transform Your Career", by Reid Hoffman, Ben Casnocha



名声のある企業のもとでの安定したキャリア、そんなモデルは崩壊した。変化し続ける社会に対応するには、いつも出発点たる気構えをもっていることが大切という。

・貴方の持つ比較優位を考えよう;できること、したいこと、すべきことの交差はどこか?
・ABZの計画をたてるべし;Aは現状改善、Bは転回、Zは避難。学び続けるべし!本当にやりたいこととか本当の自分とかわからないのが普通で、色々やってるうちにたどり着くもの。
・長期的な人間関係を構築しよう、プロフェッショナルなネットワークを作るべし。何かをしてもらうのを待つんじゃなくて、まず何かをしてあげよう。
・チャンスをつかめ!;ネットワークに繋がり、ネタ元をたくさんもち、軽やかにいるべし。
・リスクを正しく見極めよう;たとえばいつも危険に曝されてるほうが、柔軟性が身に付いて結局は安全かもしれない。
・ネットワークから有用な情報を得よう

こうまとめてしまうと実につまらない本に見えるけど、読んでて元気が出ます。LinkedInはもちろんのこと、Flikr, Apple, Facebook, Googleなどベイエリアの先端企業のエピソードが多くちりばめられている。彼らがどんなことを考えているかを知りたい人にオススメ。

(感想)
・ネットワークが重要と論じるところで、LinkedInの宣伝が実に効果的になされている!w感心した。
・ネタ元としてMIT Technology ReviewやWiredの購読などが勧められていた。技術が社会を引っ張るという見方には大賛成なのだけど、根っからの理科音痴なのでわけがわからない。。。うう。。。;;
・誰も彼もがベンチャーに飛び込むべきなんて無責任なことは言わないーーむしろ年とか家族とか考えたらやめとけとまで言ってるーーし、コケたときのことも考えておけと言ってるし、何とも常識的でイイ。
・最初っからゴールが見えてて最短距離で駆け抜けているイメージが払拭された。色々悩んだ末の結果なのね。
・なんで東京はパロアルトになれないんだろう???ヒトもカネも稠密さもあるのに。うーん。
・さあ、いますぐ登録だ!
(URL)https://www.linkedin.com/
(Twitter)@startupofyou
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2012年02月24日

よくわかる現代ロシア

北方の国の現代史を読んでみた。著者はロシアの専門家としてよく知られた国際政治学者です。

"Return" by Daniel Treisman



謎だとか邪悪だとか言われるロシアのイメージを払拭するとのことで、ゴルバチョフからプーチンまでの政策が著述されていく。
1章はゴルバチョフ。米国との緊張関係を緩和し、浮いた予算で経済政策に臨んだ。リアリストだけど対外関係では戦争というオプションより対話を重視する姿勢をとっていた。改革の必要を感じグラスノスチ(情報公開)やペレストロイカ(改革)を進めたが、次第に国民からの人気を失い、またソ連八月クーデターを招き、不本意なことにソ連を崩壊させた。改革が結局はコケてしまった理由は、飢饉や資源価格の低下などで国内消費に危機が迫っていたからとみている。
2章はエリツィン。クーデターを失敗させたのちロシアの大統領に就任し、チュバイスとガイダルを起用し急進的な市場経済導入を目指した。しかし経済は混乱し、チェルノムイルジンを首相に指名したりと妥協せざるを得なくなってしまった。バウチャーによる民営化でオリガルヒは国有資産を手に入れたが、言われるほどには政治的影響力はなかったとみている。人気取りに終止腐心する姿が描かれている。チェックの効かない議会を超法規的な方法で統制したが、民主化のためにはむしろよかったのでは、とのこと。唯一の失敗は政権委譲くらいなもの。
3章はプーチン。KGBから恩師サプチャークの引き立てにあって政界入りし、サンクトペテルブルク市副市長を経てロシア大統領府第一副長官になった。そしてエリツィンの後継者として大統領になり、政権当初は西洋寄りであり彼と同じく自由経済保護を推進した。新興財閥に対抗し白ヴィキを政府高官として登用した。秩序のために中央政府の権限を強めたが、統計を見る限り汚職も治安も改善してはいない。彼の行動は、チェーカーでもKGBの虜でも権力の追求でもなく、CEOとして経済的利得を目指しているとみたほうが説得的とのこと。西洋受けのいいメドベジェフに政権を委譲したほうが得だった、と。メディアへのしめつけは強いけれど、彼の高い国民人気は経済の高成長によって支えられているとのことだ。
4章はメドヴェージェフ。法学者としてスタートし、やはりサプチャークの引き立てにあってプーチンを補佐していた。2008年からは大統領になったものの、政権内にはプーチンの影響下の人物が多いため、彼独自の路線を歩むことは困難。自由経済を維持するという姿勢は示しているが、改革の進展は遅い。こうした状況はしかし金融危機とグルジア紛争で一変した;再び西洋への疑念が持ち上がったのだ。周縁部がロシアから離れていく可能性を見過ごせず、再びプーチンが帰ってきた。
5章はソ連の崩壊について。経済危機、政治の自由化、少数民族のナショナリズムの再起、際どい選挙戦、地方の実力者(ノメンクラトゥーラ)の貪欲さ、中央が軍を動かせなかったこと、ソビエトがそもそも他民族を不安定に抱えていたこと、これら「全てが組み合わさって」生じた事態だった。周縁部に住むロシア人は、「ロシア」に住むよりも得だと捉えていたようだ。
6章は民営化について。しばしばなされる批判は、「政治的にどんな方法が可能だったか」を見落としている。強圧的な手段をとったり、利益団体に離間の策をとったり、アメを与えたりしながら改革を遂行する必要があったのだ。ゴルバチョフから引き続く消費危機のため国民人気が低下した大統領は、批判者に対して譲歩をせねばならなくなった。98年の通貨危機は、誤解によって生じたとみている。海外投資は増えていたし、黒字予算だったし、経済は順調に伸びていた。プーチン政権のもとでは、石油価格の高騰で経済は安定しているが、汚職や裁判所の政治化が進んでいるようだ。
7章は政治力学について。制度が変わっても必ずしも政策が変わるわけではない。また他の国同様、ロシアの指導者は国民の声を気にしている。
8章はチェチェンについて。その古く多様な文化が綴られ、19世紀以降の政治史も描かれる。他の地域は中央からの譲歩を得たが、チェチェンだけは紛争に至った理屈が考察される;現地の指導者は軍隊出身で政治交渉のやり方を知らず、また周辺部への安全保障が危惧されたのだ。
9章は欧米との新しい対立について。ロシアからしてみたら、ソ連から脱退した国々は次々にNATOに加盟して四面楚歌になるし、コソボでのNATOは平和維持のはずなのに無辜の市民を殺害しているし、グルジアでは反露な指導者を応援するしで、欧米は信用できない。欧米からしてみたら、歴史を鑑みればハンガリーやポーランドの恐れはわかるし、コソボでは虐殺が相次いでおり即時の鎮圧が求められていたし、ロシアの政権は暴力的手段をとりがちだし謎めいているしと、やはり軍事的に脅威を覚える。ただ相互理解の兆しが見えなくもない。
10章は国際比較。よくメディアから独裁的だと非難されるけど、同じような所得の国々と比べれば、そう大差ない。民主的と言い切れず、メディア報道の自由は完全ではなく、資源価格に影響を受け、アルコールのせいで人口問題に苦しんではいるけれど、中所得の普通の国だ。民主主義に関しての理解も西洋とほとんど変わらない。そのうちまた隆盛するでしょう。

(感想)
・政治家の生い立ちを述べたり、政策のみならず人物評価にまで踏み込んでいたり、政治学の人というより歴史学の人のような本のスタイル。とりあえずエリツィンがすごいことがわかった!
・各章では通説を批判し、新しい視点を導入するという書き方になっている。二重否定が延々と続くので読むのはしんどい!でも、「誰がいて」「どんな目的を持っていて」「どんな代替手段をもっていたか」、この三点が非常に明確に述べられている。そのためわかりやすいのは確か。(チェチェンの説明、ドゥダエフがアホだからというのはちょっと苦しいけど。。。)
・好き放題やれる邪悪な指導者というイメージが払拭された;ロシアの政治家はいちおうルールに則って権力争いをしているのがわかった。おすすめです。
・著者みたいなスパイや外交担当のアドバイザーが欲しい!メディア報道や政策から動機を洗い出すのって、交渉のテーブルに付く前に重要なスキルだよね。共通の利がないかどうか探るのにこれほど適した人材っていない。

(気に入ったエピソード)
中学生「スパイ映画格好良いや、僕も将来スパイになろう!」
諜報局「志願してくる人は絶対採らないから、大学で法学を勉強しておいでよ」
その後KGBや副市長を経て少年は大統領になったとさ。
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2012年02月23日

経済改革のパラドクス

「規制をすると、政府がますます汚職をするようになる/特権的な地位にある人は貪欲になる」と唱える経済学者がいるとしよう。そして、当該政府から改革を頼まれたとする。

彼には二つの選択肢がある。

1. 受ける
改革によって、以前よりデカいパイに到達するかもしれない。でも、彼の学説によれば、「デカくなった分だけ彼が食いつぶす」はず。彼に代わる人材がいないという特権を利用するからだ。国民に残るパイの大きさは同じになる。
→自説は補強されない

2. 拒否する
→やはり自説は補強されない

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ここはとある共産圏。

大統領「我が連邦、しっかり」
経済学者「さわるな。ペレストロイカだ。グラスノスチで緩んだ途端に分裂したんだ」
大統領「治るんですか。先生。お願いします」
経済学者「治る見込みは少ない。90%安定の保証はない。だがもし助かったら3000万円頂くが」
大統領 「さ、3000万円?」
経済学者「あなたに払えますかね?」
大統領「い いいですとも!一生かかってもどんなことをしても払います!きっと払いますとも!」
経済学者 「それを聞きたかった」
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2012年02月19日

アメリカの大躍進

「潜在生産量は大恐慌時代(1929~41)に劇的に伸びた」と主張する本を紹介してみる。題は"A great leap forward: 1930s depression and U.S. economic growth"、著者はこの時代の研究で知られる経済史家のAlexander. J. Fieldだ。主な要因は道路建設だそうで。



え、二次大戦が大不況を救ったんじゃないの?とか、もし戦間期に生産能力が伸びていたんなら、栄えていたのは20年代だったはずじゃないの?とか、それなら48~73のアメリカの黄金成長時代はどうなのとか、20世紀末の情報化時代に関してはどうなの?といった疑問が浮かぶだろう。本書はこれに答えていく。

20年代の伸びは、金属のシャフトや革のベルトが電線や電動のモーターに替わっただけで、製造業以外に進歩は無かった。
一方30年代には道路のネットワークの建設がなされた。それにより、卸売りや小売りといった、組織や運輸・配給の変化がもたらされた。ゴム製のタイヤで運びやすいよう、インフラが整備されていったのだ。これは全部の産業を巻き込んだとのこと。
戦中は戦争に全てが費やされ、その後通常の経済に戻ったけど、成長には悪影響があった。黄金時代の成長の伸びは普通に資本蓄積によりもたらされた。1973~95のTFPの落下は謎だけど、インフラ投資のメリットが薄れたからかもしれない。ITブームは確かに生活を一変させたけど、歴史的にみたらそう大きなものではなく、コンピューターや携帯電話や証券といった産業に限られているとのこと。

一部はアメリカの経済の伸びを年代順にみていく。19世紀の成長と20世紀のそれとは技術進歩において質的に違うと通来言われていたけど、長期のデータをとってみるとそうではない。20世紀後半のTFPの伸びは19世紀末の伸びよりも低い。
二部はさらに細かく検討する。TFPは1890~2004の間procyclical(景気のいいときに伸びる)な傾向を持っていた。また設備投資仮説、すなわち建築物ではなく耐久財は技術変化の担い手となり設備投資の社会的リターンは詩的リターンを上回るから補助金を与えられるべき、という見解に疑念を呈している。設備投資のシェアが伸びていてもTFPの伸びは薄いからだ。また、汎用目的技術という考え方を抜きに経済史を考察できるかも検討されていく。
三部では現在と大恐慌時代を比較する。財政危機の遠因がレーガン時代に溯れる。20年代の不動産のブームは、自動車によって新しい機会が生まれたから。戦間期の経験から何を学べるか考察し、鉄道に関して不況が長期的な生産性の成長に好影響があったかをみる。

(方法)
資本や労働の伸びで捉えられない経済の伸びはTFP(Total Factor Productivity)と呼ばれる。1929~41年ではどちらの要因もあまり伸びていないにもかかわらず33~40%の生産物の伸びを経験しているというのが、著者の中心的発見だ。
政府と農業部門を除いたPNE(Private Nonfarm Economy)を生産量として考えている。それは、政府部門の生産は市場に出ずコストで測られ、農業部門は転校に大きく影響を受けるからとのこと。
また最新のマクロ経済学を用い、景気循環のピークを同定し、それらを比べている;景気の底と天井を比べないようにするため。

すげー意外!
道路族には必読書かも?

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(感想)
・そういえば日本には車社会嫌いの高名な経済学者がいますね。数学に強くても年老いるとSAN値が下がるのかしら。
・上からの改革を目指した毛沢東の大躍進政策はコケたけど、下からの需要に応えたアメリカは文字通り躍進したというのが解題だそうで。うううん、加州の経済史家のくせに中国嫌いなのかなーw
・著者の師匠アブラモビッツや著者も認めるとおり、残査分析は推測に過ぎない。ただ、この時代が他の時代と比べて特徴があることは確かに思えるので、他の要因の指摘も待ちたいところ。特にITの影響が限られたものという見方は胡散臭さが残る。だって全ての産業に影響してるもん、コンピュータの導入。ただ変化がわかるようになるには50年くらいかかりそうだ。。。
・道路建設が顕著な時期を国際比較するって手もあるのか?
・バーナンキが珍しく褒められている!
・著者が使ったデータは読者も使えるようになっていた。素晴らしい。
(ご参考)
1948年以前のデータ;http://www.nber.org/books/kend61-1
それ以降; http://www.bls.gov, http://www.bea.gov
・ハコモノ建設は役立たずと言われるようになってきたけど(cf. Ed Glaeser)、まだまだアメリカはインフラ不足じゃないかなぁ。鉄道網もネット整備もショボショボ=希望があるような気がする。
posted by Char-Freadman at 23:34| 北京 | Comment(0) | TrackBack(0) | ぶっくれびゅー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月18日

柔軟な政治議論を求めて

これ、経済の本かと思ったら政治の本でビックリした;"The Darwin Economy" by Robert H. Frank
顕示的消費とか累進消費税とか感情が持つ経済的帰結とかで有名な著者だけど、それらのアイデアの丁寧な解説は前の本を当たったほうがよさそう。本書は純粋な経済学的アイデアとしては特に目新しいものはない。



アメリカにはリバタリアン運動/Tea partyという困った人たちがいる。原理主義的に自由を主張し、いかなる課税にも反対しており、政治の硬直化を招いている。本書はそんな彼らの議論の穴をひとつひとつ指摘していく、たとえばこんな具合だ;

全ての税は窃盗だ→所有権を守ったり社会インフラを供給するには税収が必要だよ。あとピグー税なら税収確保できる上によろしくない行動を防ぐこともできる、たとえば環境税やタバコ税、アルコール税などね。
累進課税は不正だ→一律な課税だと公共財の供給ができなくなるかもしれないよ、それよりは支払い能力がある人がより多く負担したほうが彼にとっても良い結果になる。実際労働市場では、社会の中で相対的に低い地位を受け入れるために賃金補償を受け取ったりしているよ。
市場での成功は才能と努力によるんだ→運も重要、才能だって遺伝や環境要因に影響されるし。
金持ちへの課税は金の卵を産むガチョウを殺すようなもの→残念、経済理論も実証データも支持しません。
政府は無駄遣いするから税を払わなければ良いんだ→有効なインフラも失われるし、実際税収を制限したカリフォルニアは失敗している。私的消費もムダがあるよね?パーティや屋敷といった消費は、他の人よりスゴイものを見せつけたいという動機で買っていて、結果として皆が損をしている。累進的消費税を導入したほうがみんなの得になるんじゃない?
自由権は何が何でも守られねばならない→費用便益分析を使おう。パイをまずでかくして、それから直接的補償やらをしたほうが得になる。「取引費用が低いとき、所有権を設定すれば交渉が効率的な結果を生む」と主張した市場派の聖人ことロナルド・コースですら、費用負担が軽微なほうに支払いをさせたほうがよいとしている。
アダムスミスは、各人が自分の利益を追及すれば効率的になると言ってる→ダーウィンは各人にとっての得と社会にとっての得が乖離する状況を指摘している。各ホッケー選手は上手に滑れることを主張したいからヘルメットをかぶりたくないかもしれないけど、皆が同じように考えてノーヘルになるよりは、ヘルメットを被っていたほうが望ましい。クジャクの派手すぎる尾、牡鹿の大きすぎる角など例を挙げればキリがない。そんな囚人のジレンマ状況のときは、そもそも規制してしまったほうが、皆にとって得な結果になるよね。

一人でも多くの残念なリバタリアンを説得したいとのことです。

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(感想)
・思考停止な人はたぶんこの本読まないだろうナァ・・・w
・日本だったら、「キュウジョウガー」「ガイコクジンサンセイケンガー」とか、原理主義的発想はむしろ左派のほうに多そう。
・ポルノ規制とか馬肉規制(@加州;http://kuznets.fas.harvard.edu/~aroth/alroth.html#Repugnant)とか臓器移植とか、嫌悪感に基づいた規制に対しては依然として結構有効なレトリックじゃないかなぁ、消極的自由の主張って。
・アホな政治運動にもまともに相手してあげる老教授が居て、アメリカの経済学者の層は厚くて羨ましい。
posted by Char-Freadman at 04:50| 北京 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月13日

天は人の上に人を造らず

格差拡大に興味が湧いたので、"The Race between Education and Technology" (by Claudia Goldin, Lawrence Katz)を読んでみた。二人とも労働経済学の超大物です。



さまざまな指標が、アメリカでの格差の拡大を示唆している。本書は統計を駆使し、その原因を解明していく;教育の拡充が不足しているのだ!

技術進歩のうちには、優れた技能をもった人だけが得をするようなものがある。たとえばコンピュータを起動してみて欲しい。使いかたすらわからないアプリはないだろうか。プログラム言語の達人なら使いこなせるだろうけど、そうでなかったらPCは厄介者だろう。これは経済学で技能偏向型技術進歩(Skill Biased Technological Change)と呼ばれている現象で、技能の有無が勝ち組と負け組を分けるようになる。
でも、それはお話の半分。技能への需要が高まったとしても、供給する人が増えれば、なんら格差は拡大しないわけだ。大学教育の広がりが遅れているからじゃないか、というのが本書の指摘。

1章では人的資本の重要性を語る。20世紀を人的資本の世紀と呼び、労働生産性の上昇はかなりの程度教育で説明できる。実際75年程度にわたり教育水準は伸び続けた。しかし80年代以降は伸び悩んでいる。

2章は不平等度をみていく。75年程度にわたって格差は縮小したし学歴へのリターンも薄れていったが、70年代後半になるとその状況が逆転した。

3章は技術進歩について。歴史的に見れば、技術進歩は必ずしも技能偏向型ではなかったことを確認している。職人から連続工程かつ回分式操業の工場へと生産現場がうつったときをみてみよう;職人ひとりと工場の作業員なら、前者のほうが技能がある。格差の原因は技術進歩だけではないのだ。

4章はアメリカ教育の原点について。それは以下のような特徴を持っていた;政府がコストを負担して供給し、財政基盤は独立しており、政教分離がなされ、男女平等で、開放的かつ寛大であった。エリートの育成を目指したヨーロッパとは対極的であり、平等主義とまとめることができる。先見の明のあった政治家は居たけど、教育の無償化は概ね草の根運動によってなされた。

5章は高校教育の起源について。様々な職種でいかなる教育が求められたかが綴られる。教育水準の高い労働者が求められるようになったため、高校のある地域が増えていった。

6章は高校教育の変化について。高校を卒業している率は男より女のほうが一貫して高かった。学校間に競争があり、住民が同質的で、より富裕であるとき、高校が創立される傾向にあった。大都市ならば高校に行かずとも職があるため、むしろ人口の少ない都市のほうが高校がたてられたようだ。教師の給料はさほどのびていない;弾力的に供給がなされている。またカリキュラムも変化している。

7章は大学教育について。最初は男女の卒業率に格差があったけど、縮小傾向にある。公立と私立とが競争し、規模と種類の両面で拡大していった。最初は教育に重点があったけど、次第に研究向けになっていったとのこと。

8章は格差について。大学教育の拡充は技能への需要に間に合わず、格差が拡大してしまったようだ。

9章では教育が成功の鍵であるのか再度問う;力強く答える、是であると。

題の"Race"とは、教育の拡充と技術進歩とに競争関係をみているとの意だそうで;前者が勝つなら格差は縮小し、後者が勝つなら格差は拡大すると
著者のアメリカへの愛がそこここに現れていた。この手の経済書にしては珍しい。

研究大学について、ユダヤ人研究者の流入にがスルーされていたのは気になったところ;まあ定着した理由(ペイするし居心地も悪くない)は述べられているんだけども。

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何で興味が湧いたかといったら、最近アメリカの経済ブログでこんな本が物議を醸していたから;



道徳の崩壊のせいで格差が増大している、とか何とか。

経済学者はカネの問題だとバッサリ。
http://www.nytimes.com/2012/02/10/opinion/krugman-money-and-morals.html
"So we have become a society in which less-educated men have great difficulty finding jobs with decent wages and good benefits."
クルーグマンの理解のほうが正しいように見えるなー。
興味湧いたけど価値判断に不必要に飛び込んでいる残念なジャーナリズムの本にも思え、うーん。
posted by Char-Freadman at 16:03| 北京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月05日

規制の訴訟的起源

汚職の経済学者、最新刊!

"The Failure of Judges and the Rise of Regulators", by Andrei Shleifer



こんにち我々を取り巻く規制は多い。新規雇用、就業時間、雇用関係や組合加入にいたるまで多くの決まりがある。

でも、何でそんなに多くの規制があるのだろう?

情報の非対称や外部性や独占など、市場の失敗があるときは政府の出番を認めようという考え方がある。
しかし、適切な契約を結ばせたり、私的な秩序によって解決することも可能だ。また、公務員も万能ではなく、贈収賄の恐れもある。

これらの理屈から政府の出る幕はないと思うかもしれない。ただ、実際には多くの規制があることに説明がつかない。
裁判官が万能ならば個々の契約に関して不法行為の成立をその都度確かめることができよう。でも、専門的過ぎる場合は弁護士の言うことを鵜呑みにしてしまうかもしれないし、偏見もあるし、時間がかかりすぎたりする。以上の理由から裁判の予測可能性は低くなるだろう。
ならば、裁判所で扱いきれないときに、専門的な規制を扱う役所を作ることが効率的になるかもしれない!もちろん規制にもデメリットはあるけれど、2者の比較の上で、より優れたほうが選ばれているというのが本書を通しての主張だ。基本的にはその流れでシュライファーの論文がまとめられている。

2章は(一審の)裁判官の裁量について。先例が無い場合、偏見に添う形で事例の解釈がなされる余地は大きい。歪みをもたらす可能性があり、裁量の余地を縮めるような"bright line rule"の存在が望ましい場合がある。"economic loss rule"はその例だ。

3章はコモンローの進化について。同じような事例に関しては同じような裁きが下されるのが望ましい。判例がそう収斂していくのはいかなる場合かに関して考察がなされる。偏見があったり過去に強く依存するだろうけど、多様性が収斂を導く可能性はある。先例拘束性がある場合、以前の判例と当該事件とを「区別し」新しい基準が導入される。

4章は法秩序の進化の実証。建設業界に関しての判例をみ、economic loss ruleという原則が当てはめられる傾向にあるかをチェックする。建設業界での紛争は同質的とみることができるかもしれないが、どうも収斂は見られない。それは各州の控訴審が「特例」として認める事例を増やしているからだ。

5章は法の形式主義について。権力者の影響から裁判制度や訴訟当事者を守るために、訴訟過程に形式を導入することが望ましいかもしれないと、しばしば主張される。通常よく知られるとおり、この形式主義は英米法よりも大陸法の国で見られることが、弁護士事務所の協力によって得た109ヶ国のデータ(!)比較によってまず示される。しかし、他の用件を一定にすると、「形式主義は裁判を長引かせたり質を下げたりするだけ」という衝撃的な結果が示されている。宗主国によって勝手に導入された法は現地の実態にそぐわず、形式主義はむしろ悪化の要因なのかもしれない。

6章は規制国家の出現について。19世紀後半に産業発展が進むと、判事の理解が追いつかなくなり、権力者によって裁判所の意思決定がゆがめられているとしばしば指摘されるようになった。市場活動によりもたらされる害が大きい場合には規制が望ましいことが示される。

7章は規制と裁判の比較について。裁判官が事案をよく理解していないと、正しく裁きを下すことはできない。金融契約がまさに典型例。やる気を出させるのは難しいけど偏見はないのが判事、やる気を出させるのは簡単だけど偏見に弱いのが当局の公務員であり、トレードオフがある。ポーランドは投資家保護を目的とした独立の金融当局を設立したため金融市場の発展に成功したが、それを欠いたチェコは失敗に終わった。

8章は法の起源の比較。英米法と大陸法の差はどこから生じたのかが考察される。各地域で暴力や不正な金銭授受が横行していない場合は、陪審制にして紛争を解決しても、地方貴族の妨害に合わず望ましい。そうでない場合は、王の下で中央集権的に裁いたほうが望ましかったとみている。国王権力の強いイギリスでは各諸侯は王に対抗しようとしたが、国王権力の弱いフランスでは各諸侯は「各諸侯に対抗するために」王を担ぎ上げたとのこと。ただ、大陸法のもとでは専断的な権力の制限はできず、正義の実現というよりは政治目的での裁判所の利用が横行してしまう。その結果、所有権の保護は進まない。

9章は規制と裁判の比較を行う。より均一的な事例が生じる場合は規制のほうが優れているかもしれない。実際、人口が多い場合はより徹底した規制となっている。規制委員会を立ち上げるには固定費用がかかるが、人口が多い場合はその負担がより軽くなる。たとえば労働の安全面ならばかなり標準化された基準があるので、規制の利用が効率的。

10章は新規事業立ち上げの妨害について。多くの妨害があることを示したde Sotoに触発され、質を守るために規制があるというよりは、既存の既得権益を守ったり贈収賄のために規制があることが示されていく。

・全体としては裁判の予測可能性が低い場合を強調したいはずなのに、3章では「平均的には」収斂が見られるかもしれないという命題があり、一貫性に欠けているようにみえなくもない。
・裁判所と規制の比較が主眼なはずなのに、8章の内容は英米法と大陸法の比較。しばしば引用される超重要文献だが、本の中で浮いている。
などのアラはあるけれど、裁判所が経済学的に分析されている稀有で刺激的な本でした。先例拘束性、リアリズム・プラグマティズムなど英米法にある程度知識があると読みやすいかと思われます。

(補足)論文集なので、各論文を無料で閲覧できる環境にある人は、書き下ろしの1章の21Pのためだけに3000円支払いたいかは考えどころ。
2章;"Judicial Fact Discretion.", Journal of Legal Studies 37:1 (2008)
3章;"The Evolution of Common Law", Journal of Political Economy 115:1 (2007)
4章;"The Evolution of a Legal Rule." Journal of Legal Studies 39:2 (2010)
5章;"Courts" Quarterly Journal of Economics Vol.118(2)
6章;"The Rise of the Regulatory State." Journal of Economic Literature 41:2 (2003)
7章;"Coase vs. Coasians," Quarterly Journal of Economics Vol.116(3)
8章;"Legal Origins." Quarterly Journal of Economics Vol.117(4)
9章;"The Extent of the Market and the Supply of Regulation." Quarterly Journal of Economics Vol.120(4)
10章;"The Regulation of Entry" Quarterly Journal of Economics Vol.117(1)

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(感想)
・5章や8章の結論は「法のツギハギがあると色々と不都合が起きる」と解釈もできるよね。日本の場合はどうなるのかしら?民法典論争に詳しい(&解説が易しい)文献をあたってみたくなった。
・8章はエクイティの存在を忘れている。エクイティが市民から求められて生まれたのは、まさに「判事が有力者の圧力を受けて救済が正しく受けられない」からだったはずで、この出現を説明しきれないよね。。。ポリサイのU先輩、指摘ありがとうございます。
・判事がどう考える(べき)かをお洒落に描写した"How judges think"(by Richard Allen Posner, )がボコボコに叩かれていた。共著者なのに・・・w興味があるので今度読んでみることにする。
・しょっぴかれた経験から裁判に興味が湧いたのかナァ。分析の是非は主張者の背景には拠らないし、面白けりゃ何でもいいんだけど。
posted by Char-Freadman at 16:06| 北京 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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