2019年05月30日

市場を根本的に見直そう

Eric Posner and Glen Weyl, "Radical Markets"

Radical Markets: Uprooting Capitalism and Democracy for a Just Society
Radical Markets: Uprooting Capitalism and Democracy for a Just Society

所得の不平等が進んで久しい。これは技能のある人の収入が跳ね上がっているからと見る向きもあるけど、経済に占める労働シェアは落ちているし、資本の利率もまた落ちているのだ。ではどこにその富が行ってしまっているかというと、独占企業だと考えられる。経済の分極化とともに政治の分極化も進み、いまや扇動家が大統領としておさまっている。国内でも国際的にも統治がうまくいっていないのだ。共同体の各員が皆のために善を為すという道徳経済はその適応できる範囲が狭く、といって共産主義は腐敗して人々はやる気を出さなくなる。残るは市場だが、最善の結果を生むには三つの条件が必要だ。まずは、自由;個人はどんな財も十分な価格を払えば手に入れられること。例えば戦時下の統制経済では割り当てがなされたが、物々交換という悲惨な結果になった。そして、競争;各々は自分が支払うまたは受け取る価格を所与のものとして考えること。非競争的状況では取引を妨害したり生産を減らしたりして価格を操作しようという誘引があり、時間の無駄や質の低下も招く。最後に開放性;国籍性別心情人種に関係なく取引を通じて相互に利益を得られること。国際貿易をすればイタリアからパスタを買え、労働市場を解放すれば女性のCEOが誕生する。これらの条件があって平等な結果になるのだ。この前提には財が均一で誰も市場支配力を持たないことが必要となるが、しばしば実際にはそれは満たされない。労働市場にいる人は才能が違うし、家は質や場所が違う。また、市場が欠落していることもある。政治影響力の市場も必要だろう;一人一票の政治制度だと少数派はいかに特定のテーマに情熱を捧げていようと多数派の意見に従うほかなくなってしまうのだ。
19世紀の小作人はどれほど仕事ができても土地を手に入れることは地主の同意抜きにはできず、配分の効率性が損なわれる状況だった。いっぽうで自分の手にあるものはなんとかして改善しようという意欲が湧くもので、これは投資の効率性という特徴と呼べる。著者は均質な財以外だとどんなものでもその所有を認めると分配効率を歪める(一番うまく使える人に行き渡らない)ことを問題と捉えている。取引費用を避けて会社という形態になってもやはり市場支配からの賃金悪化や価格吊り上げという問題が残ってしまう。そこで彼らはヘンリージョージやハーバーガーやとりわけビックリーの提案に倣い、競売の常態化と共有自己申告税(common ownership self-assessed tax, COST)を導入したらいいとしている。これは工場だろうが家だろうが車だろうが競売にかけ、最高の利用料を提示した者が使い、それ以上に提示する者が現れたら譲り渡すという提案だ。利用料として集められた金は公共財の支払いと社会給付に充てるとされている。利用料が高いほど課税される仕組みだ。ここでは真の価格を表明する動機があり(上げたら無駄に税を払うことになるし、下げると他の人に取られる可能性が上がる)、投資効率は確かに抑えられるものの高額の利用料については税率を下げればその悪影響は減る。少しの課税でも正しい自己申告を導き、投資はそこまで歪めないというわけだ。シグナリングや逆選択もまた保有効果も避けることができる。またこの提案のもとでは資産の価値は利用料として低額に抑えられるため、借り入れ制約という問題も生じにくくなる。私的所有のもとでは怠慢になりがちだけどCOSTのもとではそんなことでは競争に負けてしまうから皆勤勉になるのだ。周波数帯オークションは一回しかされなかったからその所有者となった人が額を釣り上げるという結果になったしドメイン名が不適切な人物にわたる可能性があるけどCOSTだと常に競売にかけられているからこのようなことは起こらない。空港や鉄道は地主に妨げられることなく作ることができるようになるし、給付は平等化を促す。
市場ではたくさん支払う意思を見せることである財やサービスをどれくらい好んでいるか示すことができる。それに対し一人一票の民主主義はいくつもの欠点を抱えている。少数派の権利を守ることはできず、身動きが取れなくなったり、戦略的投票により悪い代表を選ぶこともあり、多数決を複数回行うことで独裁が生じることもあり、人々がどれだけ望んでいるかやどれほど詳しく知っているかをまとめ上げることができない。古代アテネやアメリカ建国、ヒトラーなど歴史に例は多い。そこで著者は伝統にならい政治を公共財の提供として捉えていく。適切に供給されるためには各人の声はその公共財を欲していればいるほど聞き入れられなくてはならないが、普通の市場ではこの結果は得られない; 一番気にする人が誰よりも支払う意思を見せてその他の人を追い出すからだ。投票により他人に迷惑をかけたぶんだけ支払うようにしないと最適な結果は得られない。ここで、支払うべき価格はその人がどれくらい結果に影響するかではなく、その「自乗」に比している。たとえば汚染しながら電力を供給するプラントを考えてみよう。誰かが汚染量を減らしてほしいと思ったとき、他の人は電力消費を減らす結果になる。電力消費は減れば減るほど汚染によって得られたはずの便益は大きくなるので、彼の減量要求は1単位ごとに過大な負担を強いていくことになるのだ。ここにきてついに著者は「自乗投票(Quadratic Voting, QV)」を提言する。まずある国が何度も選挙するとして、1回1回各人は票を貯めても良いことにする。そして投票すると決めたときは貯めた票数の平方根のぶんだけ票としてカウントされるようにしようというシステムだ。これは自分が投票して迷惑をかけた人に対して「自乗」ぶんだけ票を支払うことになり、フリーライドの問題は生じず社会的に最適な結果をもたらす。実験するとリッカート尺度よりQVの方が正規分布に近いような形になる。レビューサイト等で応用できるしもちろん政治の場でも利用できる。ある選択肢をどれだけ好んでいるかまで表明できるから、嫌な候補者を罰することができるのだ。平等な社会への第一歩を踏み出せる。
18世紀は皆が貧しく、誰がどこに移住しようと利益はなかった。しかし貿易は富を生むため、貿易論が発達した。世界的には所得の格差が大きい。ここで著者はビザのオークションを提唱する; 一番高く支払う意欲を見せた人に落札させ、そのアガリは公共財や給付に回すというものだ。ベッカーのアイデアにさらに一捻り加わっており、それは政府が主催するのではなく国民一人一人や共同体ごとに主催する(Visas Between Individuals Program, VIP)という点だ。望ましい条件を飲んでくれる人だけが来る結果にできるし、それなら混乱は起きないし次第に理解も進むとのこと。
機関投資家は1980年にはすべての法人のうち4%の株を持っているに過ぎなかったが近年では26%も持っている。同一業界の会社をいくつも抱えているため競争を阻害するような行動に出ることがある。例えば、価格を上げたり投資を控えたりするようCEOに直接指示することもある。労働市場においても同じように談合をして労賃を値切ってしまっている。そこで著者は物言う株主としてはどの法人についても1%のシェアを超えさせないよう規制することを提言する。いくつもの業界を跨いで資産を振り分ければリスクは減るから資産運用はあまりダメージは受けないし、一方企業間の競争は労働者を確保する市場でもまた保たれるのだ。機関投資家同士の競争は、いかにしてしっかり企業を株主のために働かせるかという点で生じるようになる。
計算機能とデータの量の向上はニューラルネットワークなど機械学習の有効性を飛躍的に高めた。これまでの普通の統計に必要だったデータ数はせいぜい数百程度なので末端ユーザが加えるデータはほとんど意味がなかった。しかしこれからは大量のデータが必要となるため各人が持ってくるデータはとても価値があるのだ。ここで著者はデータを労働として捉えるよう提言する。現状ではテクノロジー企業は貴族のように振る舞いデータ市場を買い手独占してろくに支払っていない。これでは質の高いデータをユーザが持ってくる動機はない。そこで労働組合を作るよう全ユーザに呼びかけてデータに対する支払いがなされるようになればもっとサービスの質も向上するし社会貢献しているという実感も生めると見ている。
COSTを人的資本にかければ才能のないものに対しても今よりは不平等が減るかもしれないし、国際社会でQVを導入すれば弱い国が無視されることはなくなる。VIPで来た移民にQVを認めればより良い移民を引きつけることができるかもしれない。計算能力が発達してテクノロジー企業は市場と同じようなサービスを提供しているようになってきているとはいえ、上記の4提言をまとめてより良い社会を作るのが現状では最善ではと見ている。

・特に1章は契約理論のまとめとして出色。市場原理主義は「ヌルい」とバッッッサリ。すごすぎる。。。
・2章も公共経済学のまとめとして素晴らしい。自分は学部のときO先生に習って「ほーんVGCメカニズムだと嘘つく動機あるから結局実行できないんかー」で納得してしまったけどワイル氏はそこで止まらなかったようだ。票を貯められるようにしてオークション形式にすれば自己申告するじゃんという発想の転換があまりにもあまりにも見事。
・ミクロ経済の本としてここ10年で一番刺激的な本。すごくオススメ。
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2019年05月23日

人類と真社交性

E O Wilson, Genesis: The Deep Origin of Societies

Genesis: The Deep Origin of Societies
Genesis: The Deep Origin of Societies

社会生物学で一世を風靡した著者は、本書で真社交性が人間社会の起源ではないかと論じている。
進化の段階は以下のようにみていくことができる。1.生命の誕生2.真核細胞の発生3.性によりDNAが多様になること4.多くの細胞からなる器官が生じる5.社会の発生6.言語の発生
自然淘汰が働く水準は様々だ。動物の細胞をみると死ぬようにプログラムされているものがあり、これがうまくいかないと癌になる。血縁淘汰や群淘汰もまたその例だ。鳥や魚は群れになって行動することがあり、これは捕食者から身を守るのに役立つ。協働は便利なのだ。閉経後の女性は社会に貢献するし人間の同性愛者の率は生殖行動の変異は説明がつかないほど高いが、これは真社会性を人間が持っていることの証拠とも見える。
真社交性を持つ昆虫は繁栄しているが、生物の進化の歴史を考えると比較的最近になってから現れたし、その例は少ない。これは個々の生物に集団のために自己犠牲を強いる行動が備わっていくには時間がかかったからだ。巣の幼生を卵から成体まで敵から守り養うという特徴がある。自分の子ではなく誰の子でも守るように発達してきたのだ。血縁淘汰から群淘汰に繋がったと主張されることはあるがそれは間違いで、その逆。血縁淘汰や包括的適合度は理論の点からも最近の実験からも反論を受けている。
アフリカで発生した人類は真社交性の動物と同じような道を辿ってきた;群淘汰が働くような極めて暴力的な環境だったのだ。脳が巨大になり、火を使い、成員と協働することで今日まで社会を営んできている。

血縁淘汰を叩く段になるまで退屈な話続くけど、後半の特に6章はとても面白い。時間のない人はその章だけでもオススメ。
・同性愛への傾向が真社会性から来てるかもという指摘面白かった。アリに引きずられすぎ感もあるけど・・・
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2019年05月22日

ネットワークの重要性

Matthew O. Jackson, The Human Network

HUMAN NETWORK, THE
HUMAN NETWORK, THE

簡単なグラフ理論を通じ著者は人のネットワークの生まれ方やその効果を分析していく。
人の影響力を測る方法はいくつかある。
・人気:ある人が何人友達を持っているかを見てみよう。これは次数中心性と呼ばれる。友人は平均的に言って典型的な人物より多くの友人を持っている。これは友情のパラドクスと言われる。それは社交的な人は何人もと繋がりがあり何度も友人としてカウントされるからで、その影響力は過大評価されているということになる。数人の悪童を通じてタバコや飲酒の影響が広まるという現象はこうして生じるのだ。
・コネ:他の人とよく繋がっている人と繋がっているかどうかを見る指標。これは固有ベクトル中心性と呼ばれる。グーグルは重要だと他のページから思われているページを拾うことを可能にしたが、それが検索エンジンで覇権を取る理由となった。
・拡散性:限られた繋がり合いの中で情報を撒くのにどれだけ適した地位にいるか。マイクロファイナンスの宣伝では拡散性の高い人物ほど情報を広めるのに貢献した。
・媒介性:人と人とをつなぐ際にどれだけ介在できるか。これは媒介中心性と呼ばれる。メディチ家が力をつけたのは結婚を通して多くの有力な家と関係を作ったからであった。メディチ家以外にはそんな存在はいなかったのだ。
感冒は繋がりの多い人物が広めていると思ってしまうかもしれない。しかしそれは間違いだ。平均的にどれくらいの病人を感染させるかの数値が重要であり、これが1を超えると次第に広まるようになる。人気者を隔離した程度では爆発的な感染を防ぐには不十分である。感冒には外部性がある:ある人が感染すると他の人も感染しやすくなる。ワクチン接種は自分のためだけではなく人のためでもある。
金融危機は感染症と似ているが重要な点で異なる。多くの取引相手がいるとリスクを分散できる一方、倒産した場合は多くの相手を巻き込んでしまう。特定の相手とは密な取引がありその他の相手とは薄い取引があるという状況は危険だ。金融業界はどんどんと集中化が進んでしまい潰すには大きすぎるということになってしまった。また恐れは実際に危機を引き起こす。あの手この手で規制を逃れようとする銀行に対処していかなくてはならない。
類は友を呼ぶ(homophily)。インドではいまだに同じカースト同士で結婚がなされる。似た人が周りにいて住んでいて欲しいなと思っているとしよう。このとき、自分が移動するとその周囲の人にも影響を与えることになり、さらなる移動を引き起こす。そういう連鎖が続くと完全な分離がなされることになる。少しの好みが大きな結果を生むのだ。分離する社会では信頼が生まれず利益集団が政治をかき回してしまい政府が役に立たなくなってしまうと見る研究もある。分離問題を解決するためにはどういう経緯で似た者同士が引き合うようになっているか理解するのが重要。
アメリカでは貧しい人は貧しいままという世代間の所得の不動性が指摘されて久しい。1940年代から80年までは多くの雇用を必要とする産業が伸びたため所得の不平等は伸びなかったが、それ以降は技術に強い人に所得が集中してしまった。教育のもたらす所得格差は非常に大きくなっている。貧困家庭は社会資本に乏しく、教育の重要性を知らない。そういう共同体から抜け出せなくなっているのだ。類は友を呼ぶため、周りがドロップアウトしているなら自分もドロップアウトしてしまおうと判断してしまう。誰かの紹介で職が見つかることはかなり多いがそういう機会も失っている。この状況を変えるにあたりキブツのような集団社会を作るのは現実的ではない。技術が重要という潮流は変わらないのだから、教育が必要であるという情報を拡散し、一人一人救っていかなくてはならない。
知識を得るのは難しい。色々な情報源から偏りなくまとめないといけないからだ。友人に意見を求めるとしても、自分の意見をそのままこだまとして返してきているだけかもしれないし、繋がりの多い人の意見は多重に考慮してしまいがちなのだ。似た者同士がつるむ場合はさらに厄介で、分離が生じてしまいなかなか正しい意見が浸透しなくなってしまう。さらに、ニュース産業は情報を広めることに利益を見出すようになっているため、精確な情報を得ることについては疎かになってしまっている。
誰かがあるレストランに並ぶのを見てそれにならって同じ店にすることもあるだろう。銀行取り付け騒ぎはそれが起きる恐怖があるだけで生じうる。自分の友人同士が友人であるかどうかを見るのがクラスター性だ。共通の知り合いがいると債務の不履行が生じにくくなる。とはいえコネには欠点もあり、いい業績の人がふさわしい職に就けないことにもなる。
技術革新には二つの効果がある。一つは、関係を作ったり維持したりするのが容易になることだ。貿易関係が発達した結果戦争が減ったと見ることも可能だろう。もう一つは、似た者同士で集まりやすくなってしまうこと。政治の分極化はインターネットの普及とともに進んだ。同類と狭い殻に閉じこもることなく、正しい情報を広めていくためには関係性の構造をしっかりと理解するのが重要である。

ネットワークを考える上で重要な点を簡潔に整理してくれている。オススメ。

・貿易関係が戦争減らすかもって言ってるけど逆も可能のような。貿易関係がたくさんあるなら資源枯渇を恐れることなく殴りに行けると思ってもおかしくなくない?うーむ不思議
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2019年05月17日

研究投資でアメリカを豊かにしよう!

Jonathan Gruber and Simon Johnson, Jump starting America

Jump-Starting America: How Breakthrough Science Can Revive Economic Growth and the American Dream
Jump-Starting America: How Breakthrough Science Can Revive Economic Growth and the American Dream

1940年当時、アメリカの軍事技術は貧弱だった。しかしルーズベルトのもと国防研究委員会を立ち上げたヴァネヴァー・ブッシュは産学官の強力な連携を推し進め、二次大戦の勝利に貢献する技術を生み出すこととなった。ところが60年台半ばから研究予算は減り始め、今ではGDP比で0.7%まで落ち込んでいる。そして成長と雇用を生むような革新が起きていない。十分に優れた都市には科学的インフラやベンチャー資本家を確保するようにし、納税者全てに恩恵が行き渡るような革新を生む必要が出てきている。
エジソンの時代までは個人が発明していたがそれ以降は企業が発明するようになった。しかしブッシュはそれでは物足りないと感じ、予算を回すことで科学が発展するように仕向けたのだ。1930年代まではアメリカの大学は研究より教育に軸を置いていた。既存の知識を軍事転用する流れはレーダーとして結実し、その後の多くのノーベル賞を生み大学の雰囲気をも変えた。技能偏向型技術進歩により自動化は進んだものの多くの退役兵は再教育により技能を得て、平均賃金は上昇し続けた;一方で技能のある人とない人の差(技能プレミアム)は戦前の水準にとどまったのだ。自由な輸出により多くの雇用も生まれた。
人工衛星打ち上げでソ連に遅れをとったアメリカは危機感を抱いた。ミサイルギャップ論争も終わり月面探査に向けて本格的に乗り出すことになった。ドイツからはフォンブラウンを含め多くのミサイル技術者が招かれ、巨額の研究予算を組まれたアメリカ航空宇宙局(NASA)は多くの成果を挙げた。IBMを消費者としてまた投資家として育てたのは政府だった。この影響から、今でも軍事に偏っているし、軍事産業では寡占や行政癒着が残り、MITやハーバードなど一部の大学に研究が集中するということになってしまった。
しかし科学者は次第に政府の中で力を失っていった。これは夢のエネルギーと謳われた原子力が放射能という深刻な問題を持っていたりDDTが環境を汚染してしまったりと科学が思わぬ結果をもたらすことが明らかになり、不信を招いたことも原因だ。またベトナム戦争やら核開発やらで科学者は自分の役割に疑問を持った。そして社会保障や医療制度の必要性、レーガン政権での小さな政府の推進、冷戦終結などで次第に科学予算が削られていった。
私企業が機会を見過ごすことはある。RCAは液晶ディスプレイの技術を持っていたにもかかわらずシャープに売り払ってしまい液晶電卓という市場を見逃し、その後もディスプレイ市場でずっと遅れをとった。私企業の研究開発だけでは不十分な理由は三つある。まず、一企業は波及効果までは考えに入れない。ゼロックスのPARCはGUIの技術を持っていたがその真価を見抜けず、ジョブスに横取りされてコンピューターという巨大な市場を獲得できなかった。次に、企業の研究は独占的なのだ。製薬産業ではそれが顕著で、コレステロール値を下げるスタチンの販売は企業の秘密主義のため遅れてしまうこととなった。最後に、市場に出るまで時間がかかりすぎて利益を得られないと判断されてしまうことが挙げられる。アルツハイマーやパーキンソン病の薬は市場に出るまでにはほとんど特許が切れてしまうことから開発が打ち切られた。ベンチャー投資は危険で、商品化できるかは見通せず、起業したばかりの企業に投資する人はほとんどいない。細胞治療も遺伝子治療もその価値が理解されなかった例だ。1987年では企業研究の1/3は基礎研究に向かっていたが、今日のそれは1/5となっている。
そこでやはり政府の出番だ。ヒトゲノム計画は米国エネルギー省と厚生省により立ち上げられ、多くの商業的技術を生んだ。軍事研究もまた成果を生んでいて、例えばルンバはその申し子だ。公的投資は私的な投資を減らすのではなく呼び込むのだ。とはいえその直接の影響は局所的で、どこにファンドが立地するかは重要。投資は失敗がつきものなので失敗を叩きすぎることなく気長に成果を待とう。
知識産業は特定地域に集積しがちだ。ケンダルスクエアは寂れていたが1960年代以降のMITのテコ入れにより宇宙産業やバイオ産業の中心地として復活を遂げた。アルブケルケとシアトルとの間で立地に悩んだマイクロソフトはただ創業者の故郷という理由で後者を選んだが、その歴史の差は歴然としている;シアトルは平均賃金が37%も伸びたがアルブケルケのそれはたったの7%だ。アマゾンが本社の所在を決める際は多くの地域が立候補したが、それは巨額の税控除による誘致を招くこととなった。課税ベースは増えるが課税額は減ってしまうため税収が増加するかはわからない。税額低下競争ではなくもっと生産的な競争をさせる必要がある。ランドグラント法やTVA、軍事基地等で特定地域にテコ入れをするという政策に倣えばいい。
オーランドはディズニーランドだけの都市ではない;海軍基地はシミュレーションを専攻する大学と産業をその遺産として残した。多くの雇用を生んでいるもののベンチャー資本が足りているとは言いにくい。そこでやはり公共投資の出番で、死の谷を超えるまで見守ってやるといい。もちろんそこでは官民癒着を防ぐ必要があり、それには軍事基地再編の際のやり方が参考になるだろう。ハブ候補の土地利用は公的に行い、納税者全てのためになるよう運用すべき。
さてどの分野に目を向ければいいだろう?研究が活発でかつ投資に意味があり、他の国が注目している分野が良さそうだ。中国の大学は合成生物学での研究を進めている。そして中国は水素社会の実現や原子力の安全利用に向けて進んでいる。深海探査はレアアースのみならず未知の生物資源を利用できる可能性を秘めているが、やはり中国がそれを進めている。台湾・シンガポール・中国は中関村・カナダの研究区画構想から学ぶと良さそうだ。
他の国の研究開発にただ乗りするだけじゃ雇用は生めない。研究開発の予算を増し一歩踏み出す必要があるのだ。

・主張こそ陳腐だけどとりあげられている事例がどれもこれもめちゃくちゃ面白いのでオススメ。
・基礎研究から応用研究にシフトしちゃったって指摘あるけど、それ基礎研究が利益生み出さなくなってるって話ではないのかしら。どうなんだろう。
・シャープが目の付け所を褒め称えられてるけどゾンビ事業になっちゃったのはなんとも皮肉な結末。育つ産業に公的資金投入するのって難しいよね。
・この本の提案するような開発区域作るならやっぱ教育ある人も事業も大学も多い東京になるんだろうけど湾岸地域がいいかなあ。自分なら足立区とか葛飾区推すけど。
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2019年05月13日

国難について

Jared Diamond, Upheaval: Turning Points for Nations in Crisis
Upheaval: Turning Points for Nations in Crisis (English Edition)
Upheaval: Turning Points for Nations in Crisis (English Edition)

大火に遭遇したり、進路に迷ったり、結婚生活に終わりを迎えたりと人生にはいろんな危難がつきものだ。国もまたそうで、植民地をどんどん失ったり、好戦的な共産国を隣に抱えたり、やはりいろんな危機を迎える。個人の危機と国家の危機を比べることでわかりやすい分析をしようというのが本書の取り組みだ。そんなわけで主に7つの国を取り扱ったお話になり、比較分析が主であまり詳細には立ち入らないし、ほとんど統計も出てこない。定量的な話はのちの研究にお任せとのこと。
個人が危機を乗り越えるには以下のステップが必要となる。1.自分が危機に陥っていると認識する2.自分がなんとかせねばならないと理解する3.問題の境界を設定する(=全てがダメなのではないと理解する)4.他人に助けを求める5.他人を参考にする6.自我の強さを認識する7.正直に自己分析をする8.過去の危機を思い出す9.気長に待つ10.譲れるところは譲る11.譲れないことは何かを考える12.責任やら雑務などの制約をなくす
フィンランドではカレワラは皆が知っているし周辺国と違う言語体系のフィンランド語を話す国民がいる独特の国だ。この国は1917年の独立以来ずっとロシアの拡張に悩まされていた。カレリアの国境線変更と軍事基地設置の求めにフィンランドが応じなかったため冬戦争が勃発した。これは譲渡するとソ連がなし崩し的にフィンランドを支配すると恐れたためでもあり、またスターリンがただハッタリをかけていると間違えたためでもあった。その後もずっと近隣諸国のどこもフィンランドに支援を送らなかったため結局ドイツに頼らざるを得なくなり、独ソの戦争に巻き込まれる形で継続戦争が開始した。徹底的な交戦ののちに結ばれた1944年の講和条件は1941年のそれと同様厳しいものであり、ドイツ軍の撤退・カレリアの譲渡・海軍基地の租借・戦争犯罪人の処罰などを認めさせられた。しかし戦後は70年以上平和が保たれている。フィンランドは小さく誰も助けてくれず(#2)ソビエトの防衛意識に従わねばならない(#7)という現実に直視したことがこの結果に結びついたのだ。たとえフィンランド化と揶揄されようがソビエト批判はせずゴミのようなソビエト製品を輸入する(#10)ことを続け(#9)、そしてソ連の信頼を獲得することに成功した。独立は譲らず(#11)彼らは戦い抜いたことを誇り高く思っている(#6)。戦時にはマンネルヘイムという優れた将帥を持ち、戦後は面従腹背の政治家を持っていたことも忘れてはならない特長だ。文化的に統一されていて内戦で国がバラバラにならなかったことも効いている。
幕末の日本は列強の恐怖に晒されていた:阿片戦争でイギリスに負けた清が屈辱的な条件を飲まされていた。幕府はペリー来航を機に様々な不平等条約を列強と結んだものの、西洋の知識に追いつくため時間を稼ぐことに勤めた。攘夷を掲げる志士はテロを起こしたが、薩英戦争で敗北し軍事力をつける必要があると学んだ。これまでの幕府では夷狄を扱うのに十分ではないという認識から倒幕運動が起き、王政復古となった。その後の日本は政治的・社会的な改革を通じて西洋の強さを身につけ、日清戦争と日露戦争に勝利しついには列強へと変貌できた。憲法はドイツ式、海軍はイギリス式、民法の起草はフランス式、教育はアメリカ式と西洋を模倣(#5)したことはこの結果に繋がっている。黒船襲来で危機意識を持ち(#1)、列強の優れた点を認識(#7)することが必要だったのだ。経済・法・軍事・政治・技術面は洋風を取り入れた(#3,#7)が、儒教的な道徳性・天皇崇拝・神道・かな遣い等は保ち続けた。またグラバーやモッセやビッカース社など外国人の助けも得た(#4)。明治時代を通じて日本人は優れていると信じ、その国の価値を疑うことはなかった(#6)。さてその一方で天皇制は譲れないものであり(#11)、その後第二次大戦ではたくさんの自殺特攻という悲劇を生んだ。島国で切り離されていた(#12)ことも有利であったようだ。これは一部を除き西洋の分析に疎かった第二次大戦時の軍事的・政治的状態と対照的である。
チリは砂漠と山脈に囲まれていてほとんど孤立した国であり、ボリビアやペルーと戦った以外は対外的な危険を持たなかった。スペイン系の子孫がほとんどで黒人もインディアンもおらず、ラテンアメリカよりもヨーロッパに親近感を抱いている人が多い国だ。大地主が多かった歴史は近代になっても政治的な困難をもたらした。アジェンデ大統領は1970年の当選後に社会主義化を進め、企業の資産の凍結や鉱山の国営化を行った。この失政はチリ経済に大混乱をもたらし、ピノチェトによる軍事独裁を招くこととなった。ピノチェトは左派の弾圧を繰り返す一方で経済政策では自由化を進め、高度な成長を達成した。しかし軍事政権への反発はあり、1989年の国民投票でついに敗北した。ここにおいて遂に左派の政党は極端な政策をとることを諦め、現在まで民主的な選挙が続いている。民主的な政権になっても自由化政策は進められている(#3,#10)のだ。アメリカの支援を受けてアジェンデを打倒し経済を立ち直らせたこと(#4,#5)も注目に値する。チリはアメリカの顔色を伺いチリ銅山の市況に左右されるという制約を持っていた(#12)。一連の危難は極左と極右の争いがもたらした内乱であり、暴力的な政体は平和的な変化によって崩されなくては安定せず、一人のおかしな政治家により国家全体がおかしくなってしまうことを例示している。さて政治の分極化が進むアメリカはどういう道を辿るだろうか?著者は警鐘を鳴らしている。
インドネシアは東西5100キロにもわたり、人口は世界4位と多く700もの言語を抱える国だ。オランダ統治まではインドネシアという名前すら無かった。1910年代に芽生えた民族意識は宗教的にも地理的にも分断されていた。当該地を占領した日本は将来の独立を約束したが、連合国に降伏してしまったためそれは反故にされそうであった。そこで1945年8月17日に独立が宣言され、1949年まで独立戦争が続いた。スカルノは民族意識の低さを理解していたためパンカシラという原則を強調するようにした;一つの神、統一インドネシア、人道主義、民主主義、社会正義である。インドネシアの貧困を全て帝国主義のせいにしたスカルノは国家中心の経済運用を行い、アメリカのピースコープを追い出し国連も世銀もIMFも脱退した。多様すぎて議会は機能不全を起こしていたため、スカルノは「指導される民主主義」を掲げて独裁することにした。この支配は1965年の9月30日の軍事クーデターで終わり、スハルト時代の幕開けとなった。汚職にまみれているとはいえなんとか経済発展に成功することになった。政体を軍事政権に変え、経済政策を自由化し、第三世界のリーダーになるというスカルノの白昼夢は放棄した(#3)。一方で統一領土・宗教的寛容性・非共産国家は維持した(#11)。この方針はスカルノもスハルトもそれ以降も維持している。低い民族意識(#6)や貧困(#12)に足を引っ張られたが、バークレーで修行した経済学者に頼り(#5)また外交方針を西洋寄りに転換して投資や援助を呼び込むことに成功した(#4)。スハルトの自己分析は現実的であり、マレーシアに対するゲリラ運動や反植民地運動など無理はやめた(#7)。インドネシア語はもともと交易のために利用されていたわかりやすい言語であり内部のどの民族も優勢にならないよう公用語として定められたものだが、今も話され続けている。
戦後のドイツはまず連合国に分割統治され、東西に分かれた。二次大戦の責任はドイツの勃興にあると見られていたため当初は産業の振興は西側の懸念の種であったが、冷戦の進行によりソビエト共産圏からの防波堤として重要な存在と捉えられるようになり、援助を受け取るようになった。戦前への反省が見られ、ほとんどは敗訴したものの木っ端役人に至るまでナチは訴追された。1968年には大学闘争が起き、テロによる資本主義転覆の企ては失敗したものの、権威主義的だったそれまでの政治的環境は変化した。ブラントは外交方針を一変させ、東独と向き合い東欧諸国との関係も改善した。シュミットとコールもこの路線を維持し、東西の交流は活発になりやがて東西ドイツは再統一された。ドイツは非常に多くの国と陸でも海でも接しており(#12)、諸外国の様子を伺う必要があった。第一次大戦後は被害者意識(#2の失敗)から扇動者が生まれたが、第二次大戦後は真摯な反省が見られる。ビスマルクは正しく分析し、ウィルヘルムとヒトラーは誇大妄想に陥り、アデナウアーやブラントはまた現実路線に戻った(#7)。国境変更とナチの過去を乗り越え権威主義的体制を捨て女性の地位は向上したが(#3)、芸術を保護し保険制度を維持し共同体の価値を信じるという文化は維持した(#11)。マーシャルプランを受け(#4)経済的奇跡を達成した。これらの変化は全て緩やかだった(#9)。
オーストラリアへのイギリス植民は1788年に始まった。アボリジニは狩猟採集民のため集住するということはなく土地を持たなかったため、植民にあたり交渉はされなかった。アメリカとは対照的にオーストラリアは平和的な経過で自治が認められた:アメリカの経験を踏まえたことと、あまりにも遠かったことと、統治に軍が必要ないため過酷な税を課す必要もなく反抗が起きなかったためだ。第二次大戦まではイギリスに対する同化意識が高く、例えばガリポリでイギリスのために戦った日が祝祭日になっている。しかし日本の侵略に対しオーストラリアの防衛を誓ったイギリスはシンガポールから撤退した。戦後はさらに英豪の足並みは揃わなくなった;イギリスはEECに参加してオーストラリア製品に対して関税をかける道を選び、オーストラリアの最大の貿易相手国は日本となった。そして白豪主義は時代にそぐわないものとして放棄されることとなった。オーストラリアは常に自分が何者なのかを問い続けている(#6);イギリスでもありアジアでもある。アジアの周縁にあるという自己分析が必要だった(#7)。イギリス従属外交の放棄・多民族国家の形成・政治的かつ経済的なアジア重視などの点では変化したが(#3)、議会制民主主義・象徴としてのイギリス国王・ユニオンジャックを含んだ国旗・スポーツ狂いなどの文化は維持した。海に囲まれているため日本の侵略までは外圧が加わらなかった(#12)。
現在の日本政府は債務超過を抱えており、世代間の負担格差が問題となっている。女性の地位は低く労働市場に参加せず、また移民には非常に消極的で、少子化が進んでいる。戦争への謝罪は不十分で中韓の不信は未だに残っている。資源の輸入に頼りきっている国であるにもかかわらずその計画的な利用には反対している。
現在のアメリカは一人当たりGDPが極めて高く、資源は豊かで農業生産性も高く、地理的にも侵略される恐れはなく、優秀な人材の宝庫となっている。しかしここ15年というもの政治の分極化が進んでしまった;選挙資金を大量に拠出するロビー団体は極端な政治家を支持しがちだし、地元の顔を伺うため頻繁に帰らざるを得なくなり政治家同士での繋がりは薄れ、改変でどちらかの政党に偏った選挙区ではより極端な政策が支持されるのだ。分極化は政治に限らないが、これはデジタル重視で対面しての人付き合いが薄れたことが影響していよう。他の国もそのようになるかもしれない。アメリカは人口密度の低い国でそもそも長い付き合いが珍しかったことも関係している。そしてアメリカでは不平等が広がり、所得の世代間流動性も悪化している。これでは暴動が起きる一方だ。
核の危機は解決されたどころか潜在的な危険が残っている:保有国間の対話は減り、またテロリストが利用する可能性もある。気候変動は旱魃をもたらし、農業生産性を落とし、熱帯性の病原を広げ、海面を上昇させる。化石燃料はどんどん減っているが水力や太陽光などクリーンなエネルギー源ではとてもそれを補えず、原子力に頼ることも考える必要がある。先進国の現状の一人当たり消費量を全世界の人が享受するほどこの星はエネルギー源がないのだ。
危機に実際にさらされる前にその危険を予知し回避することは可能だ。一国のリーダーはお飾りではなく強い変化を生み出すことができる。人の過去に学ぶのと同様、歴史から学ぶのは有益なのだ。

・ダイヤモンド先生が失敗談語ってくれるんだけどどう見ても自虐風自慢なんだが?在学中通してずっとトップでおまけに語学に堪能でした???ぶんなぐんぞ。
・wikipediaレベルの通史じゃなくて歴史の比較分析やってる編著みたいな手の込んだお話聞きたかったなー
・日本人が譲れないものとして天皇制が挙げられている。まさにいま男系が危機を迎えてるけど万一の際はどの点を譲るだろうか。男系は譲らず(#11)明治天皇に近い方を皇族に復帰させるという形になるのか、それとも男女平等という新しい伝統を譲らず女系にしてしまうのか、気になるところ。
・ドイツは反省したけど日本は反省してないってお話になってるけどおかしくない?反ユダヤ(主に当時のドイツ人)についてだけのような。侵略行為自体について反省したなんてことはないはずでは。あと相手が法の支配で動いてる国なら謝罪して外交的にメリットあるんだろうけどそうでないならメリットないじゃん?そして陛下がサイパンやパラオに慰霊訪問されているのに言及もないし、おまけに歴史教育で全く反省してないって?いやいや教科書でもいろんな映画小説漫画でも自虐史観叩き込まれるじゃんよー。なんかいまいち納得しかねる。頭NYTと化したダイヤモンド先生にはがっかりよ。
・日本は少子化を移民じゃなくて雇用を不要とする技術革新で解決する気がする。というか挙がってる問題解決は科学者に全て託されているような。俺は国際的取り組みとか交渉で解決に向かうとは微塵も思っていない。それが過去からみた現実的な認識ってものなのではないかなと。
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2019年05月08日

経済学者の育児日記

Emily Oster, Cribsheet: A Data-Driven Guide to Better, More Relaxed Parenting, from Birth to Preschool

CRIBSHEET
CRIBSHEET

育児にあたって決めなきゃいけないことは多い。母乳で育てるか睡眠訓練するかなど挙げればキリがないし、ネットで調べれば調べるほどみんな違う意見を述べていてイライラするだろう。母乳で育てた子どもの方が健康状態がいいといっても、そういう家庭はそもそも裕福だから健康状態が良くなるのかもしれない:データが腐ってるのでいい結論が導けないのだ。母乳で育てるか哺乳瓶で育てるかランダムに決めてから健康状態を調べたデータが必要となる。著者は当書で扱ういろんなテーマにおいてそういう綺麗なデータを集めてくれている。
もちろん家計や健康状態など考慮に入れないといけない制約は人それぞれだし、宗教や子どもと一緒にいたい気持ちなどの好みも人によって違う。データは集めたので意思決定時の参考にしてほしいとのこと。
1章は出産から退院時までについて。新生児を風呂に入れてもメリットはあまりない。割礼には低い感染リスクと真性包茎を避けるメリットがあり、もしやるとしたら苦痛を和らげるケアをするといい。新生児と寝起きを共にしても母乳について影響はないので母親はぐっすり寝たいなら預けてしまっていい。栄養を取るのに慣れが必要なことから生まれたての赤ん坊は体重を減らしがちだけど、体重表を見て脱水を起こしてそうな危険な水準に達してなければ気にしなくていい。黄疸についても同じ。
2章は新生児について。毛布で包むと泣きやんだり睡眠の質が改善したりするが、足と尻が動くようにくるまないといけない。泣きかたががあまりにもひどい場合はプロバイオティクスを利用したり哺乳瓶を替えたりすると効果があるかも。雑菌に晒すのはアレルギーを避けるのにいいと言われているものの、生後数週間の乳児が風邪をひくと治療が大変なため晒さない方が良さそう。
3章は回復期について。産後も数週間は出血が続くし、腟は裂傷したままかもしれない。気にしないこと。運動やセックスしていいかは回復状態によるが、一般に言われている「6週間はセックスしない」というルールはでっちあげなのでやりたければやっていい。鬱は父親でも養父母でもかかりうるので早く助けを求めよう。
4章は母乳について。短期的には赤ん坊が湿疹や下痢にかかりにくくなるものの、長期的には健康に影響はなく、IQへの影響もない。一方で母親が乳がんにかかりにくくなる。
5章は授乳の工夫について。肌と肌で触れ合うのは乳が出やすくなるかもしれない。乳頭保護器を試してみてもいいかも。苦痛があったらすぐ助けを求めよう。哺乳瓶を使っても赤ん坊が母乳と取り違えるということはない。薬以外で母乳が出やすくなる方法はない。高い水銀の魚以外なら何を食べてもいい。
6章はSIDS(乳幼児突然死症候群)について。仰向けに寝かせればSIDSのリスクは低まるが、斜頭症のリスクは残る。ベッドを赤ん坊と一緒に使うことには小さいもののリスクがあり、タバコを吸ったり酒を飲んだりするようだとそのリスクは跳ね上がる。ソファで寝るのはとても危険。
7章は睡眠について。赤ん坊の睡眠時間は様々。6時から8時くらいに起きるようにすると良さそう。
8章はワクチンについて。リスクはまずほとんどないので受けさせましょう。
9章は労働について。母親の育児休暇は子どもにいい影響があるものの、それ以降家庭に居ても特に影響は見られない。家計の制約やら子どもとどれだけ一緒にいたいかとかは人それぞれ。
10章は託児について。質は重要。保育所だと認知能力が上がるものの悪い行動をするようになる。とはいえ乳母は高い。親が関わるのがとにかく重要なので、親としてしっかり機能できる方法を選ぼう。
11章は睡眠訓練について。「泣き止むまでほっとけ法(cry it out)」は効果的で、赤ん坊はよく眠るようになり、親の鬱も解消される。情動その他への悪影響はこれまでの研究では発見されていない。色々なやり方がありそのどれも効くので、どれか一つ選んでそれにこだわるのがいい。
12章は乳離れについて。アレルゲンに触れるのが早いほどアレルギーにかかりにくくなる。新しい味に慣れるのは時間がかかるものなので根気よく。無理に食べさせようとしても逆効果。
13章は発達について。歩き始めるのがあまりにも遅いようだと運動麻痺が疑われるし、風邪をしょっちゅうひくものの、たいていの場合それが当たり前なので気にしないでいい。
14章はテレビについて。2歳児まではテレビを見ても何も学ばず、3~5歳児なら学べるかも。映像より実際の人間から学ぶことが多いのでテレビはあくまでも補助として使おう。
15章は言語の発達について。女子の方が男子より早く話せるようになる。早くから話せる子は成長してからテストが得意になったりするがその影響は小さい。
16章はトイレについて。理由は不明なものの訓練開始時期は遅くなっているようだ。早く訓練を始めると訓練期間は伸びるものの早く仕上がる。
17章はしつけについて。一貫性を持ってやるべきで、脅したら実行しないといけない。体罰は逆効果。
18章は教育について。本を読んであげるのは良い。2~3歳児までは読めるか疑問。幼児教育の既存のどの指針がベストなのかはわからない。
19章は夫婦の関係について。子どもができると結婚への満足度は落ちるが、そのペースは幸せであったほどまたは子どもを計画的に作ったほど遅い。家事分担の不平等やらセックスの頻度がそこには関係していそう。チェックリストを作って話し合うと良いかも。
20章は何人持つかについて。どれくらいの期間空けるのが最適かはわかっていないものの、あまりにも間をおかず妊娠してしまうのは早産やら自閉症やらのリスクがあるのかもしれない。
21章は読者への励ましで締められている。

・前著では妊娠時に必要な意思決定についてのデータ集めてたからもし次の本が出るならちびっ子の教育本にでもなるのか?すげータフな人だ。
・いろんなリスクを挙げた上で何をするかは両親の選択であることを強調するのはいかにも経済学者らしい。ああせいこうせいって育児本マジ多いからうんざりしたんだろう。
・子どもがいても親は楽しんでいいんだよ、罪悪感覚えないでもいいのよというメッセージが溢れている。
・紹介文だと全部省いたけど個人的エピソードもおもろい。ゴミ捨てについてすげー細かい指示が来たら俺なら発狂しちゃうぜ。
posted by Char-Freadman at 23:06| 北京 | Comment(0) | ぶっくれびゅー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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