2019年06月25日

貧困のはかりかた

所得の不平等についての大家が貧困をいかに測るかについて語っている。
Anthony Atkinson, Measuring Poverty Around The World

Measuring Poverty Around the World
Measuring Poverty Around the World

貧困を定義するのは難しい。まず政治的な定義として、必要最低限の収入を考えてみる。政治的な定義は政治家の動機づけにつながり、正しい統計を示して政府をチェックする必要がある。次に、主観的な貧困について考えてみる。先進国からの分析ばかりで途上国の声が反映されていないという批判はよく聞かれる。自身が貧困状態か聞いたり、貧困を避けるために必要な消費はどれくらいか聞いたり、それが家計や人口全体でどれくらい満たされているか調べたりするという方法がある。色々な貧困線を導入したり、非金銭的な指標を導入するという手もある。著者はまず生理的に必要な消費量に重点を置くアプローチを考える。単純な方法だが価格を調整したり食事以外の財も考慮する必要があるので完全に機械的に決まるわけではない。次にセンにより提唱されたケイパビリティアプローチを考える。これは人々が生きる上の目標を達成することをどれだけ阻害されているかを見ていくことを意味する。実際に取られた行動のみならず妨害により取られなかった行動も考慮するのが特徴だ。人が潜在能力を発揮するには周りの社会に適応している必要がある。そういう媒介性を考慮できるのも特徴となる。他にも貧困を人権として捉えたり、絶対的・相対的なそれがあるとみることもある。色々な定義は色々な場面で有用なのだ。
どれだけ貧者がいる、みたいな主張を聞いたときいくつか気をつけるべき点がある。まずは、何が測られているのか。消費か支出かは耐久財を考えれば違いが出るのはわかるだろう。消費ベースのジニ係数は収入ベースのそれより低い値がでる。そして、パネルデータかどうか。慢性的な貧困は一時的なそれと区別すべきであり、同じ家計を追ったデータが必要となる。また、生活費がどれくらいなのか購買力平価で考えなくてはならない。そして、誰を図っているのかも問題となる。個人なのか、家族なのか、家計なのかで問いが異なる可能性がある。金銭以外の貧困もまた重要。そして、何が数に入れられているのか。貧者の頭数を見るより貧困ギャップを見る方が精確だが、コストがかかるのでそうできない場合が多い。
データが欠けていたり比較可能性がない場合は多い。例えば都市と郊外の定義を見てみてもどの国でも同じというわけではない。例えばCPIはラスパイレス指数だと生活費を過剰に見積もりがちになる、というのも財の代替を考慮に入れられないから。貧者は移動にコストがかかりがちでより生活費がかかるかもしれない。貧困を考慮するには価格がどうなっているか調べるのは重要な問題。色々なサーベイを見て三点測量のように突き合わせなくてはならない。
国際貧困線は理解を深めるのに役立っている。持続可能な開発目標がどれだけ達成できているかや、国際的な流れが国内の数値にも沿っているかなどチェックすることが可能となった。
気候変動への対策と貧困削減とはときに対立しときに補完する関係となる。数字は揃ってきており、政治を動かす時期に来ているのだ。

遺稿なのでまとまりがなく読みづらいものの、データを見るときに気をつけるべき点がわかりやすく解説されている。おすすめ。
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2019年06月19日

固定観念、犯罪、そして法執行

固定観念が犯罪や法執行にどう影響するか分析した本が出ていた。

Brendan O’Flaherty, Rajiv Sethi, “Shadows of Doubt”

Shadows of Doubt: Stereotypes, Crime, and the Pursuit of Justice
Shadows of Doubt: Stereotypes, Crime, and the Pursuit of Justice

人間は固定観念を持つ傾向があり、しばしばそれは現実とかけ離れたものになる。自己申告の調査では黒人を迷信や怠慢と結びつける人は減っているが、音楽と結びつける人は増えている。既存の偏見に合う証拠は採用され合わない証拠は棄却される傾向にある。でもこの方法だと世間的に受け入れられる返答をしがちだ。そこで新たな方法として反応時間の変化を見るというものがある
; 黒人や白人の顔を見せながら単語を好ましいまたは不愉快であると分類させるのだ。実験室だと黒人は武器に結びつけられやすく、白人は無害な物体と結びつけられやすい。しかし実際の警官に同じような作業をこなさせると武装黒人に対してはゆっくり反応し無害な白人に対しては誤射するという結果がある。訓練や公的な圧力は無視できない影響を持っている。異人種間の接触の後には認知能力を要する仕事はしづらくなる。人は既存の偏見に対して行動をとるので偏見は自己実現する; 例えばチップをくれそうにない客には冷淡な対応になるしその結果実際チップが払われないことになる。固定観念がどういう誘因を作るか分析することが必要なのだ。人種について本質主義をとる人は多い。また固定観念は一度に捨てられることはない; どの内容が捨てられるかは階層的なもので、人種については偏見に沿わない証拠はなかなか捨てられない傾向がある。
犯罪は90年代以降減少傾向にある。著者は犯罪を二種類に分ける:盗用と破壊だ。殺人は殺害されないために殺害するという予防的側面を持つ。また強盗は犠牲者に見られるという特徴がある。
犯罪する人にとっては固定観念で暴力と結びつけられていると便利なこともある。強盗するとき恐れられていれば抵抗に遭わないからだ。白人は現金を持たないにもかかわらず強盗犯の目標にされやすいが、それは抵抗しないという固定観念があるから。犯罪率は減っているが強盗に遭った際の被害は大きくなっている。これはより必死な人が犯罪に及んでいるからといえる。
殺されるという恐怖から殺人を犯してしまうことがある。この恐怖は殺人を犯しても捕まらないだろうという状況でより増幅される。警官に対して信頼がない場所では目撃証言を得られず、暴力的な結果になってしまうのだ。酒や薬など禁制品を扱う場合は法に頼れず自力救済するしかなくなる。
著者は差別を二種類に分ける。一つは、異なる取り扱いという差別だ。これは人種や性で取り扱いを変えるという差別であり、動機が問題となる。もう一つは、異なる影響という差別だ。ある組織がある方針をとった際、業務上の必要がないにも関わらず特定の人たちに不利益を与える場合がそれに当たる。
差別をしているかどうか見るにはヒット率を見るという手はある。偏見から黒人を捕まえやすい場合、取り調べを受けた人のうちで実際犯罪をしていた人の率は白人のそれに比べて低くなるはずだ。とはいえこの平均を見るという手法には問題があり、ばらつきの大きい集団と小さい集団を比べると誤って検出したりしなかったりしてしまう。多くの犯罪は特定地域に集中している。警官が存在するだけで犯罪率は減る。わざわざ人種を検挙に利用する利点はない。
黒人は白人に比べて疑いを持たれやすく、逮捕されやすい。
恐れから殺害に及んでしまうのは警官も同じで、暴力と結びつけられている黒人は射殺されやすい。接触の多さが検挙率の差を生んでいるのかもしれない。地域ごとにかなり差がある。異なる取り扱いをしているのかどうか調べるのは難しい。
殺人の目撃証言を得るのは特に危険な地域では難しい。復讐される恐れがあるし警察も信頼されていないのだ。セクハラ被害を名乗り出る人は少ない。周りの沈黙は圧力となって沈黙を強いる結果になっている。記憶は曖昧で人種偏見の影響を受けやすい。
固定観念の虜になるのは判事や陪審団も同様で、黒人は死刑執行を受けやすく保釈されにくい。AIでチェックしてみたところ判事は再犯リスクの高い人を単に選んでいるだけではないようだ。もっと被告に優しい判断を下せそうである。
犯罪率は減っているものの収監率は70年代後半から上がり続けている。これには検事の裁量権の増大やその他の要因が関わっていて決定的な理由は不明だ。
検挙率を公開し、警官を増やし、経験を積んだ警官は職歴を伸ばしたくなるようにし、人種の融合した地域を増やし、正しい動機付けを行うなどの改革が必要だろう。薬物を合法化したり銃免許を厳しくしたりして犯罪を減らし、カメラを設置して警察の手続きを透明化したり、テーザーやドローンを増やすなどすることも良さそうだ。法執行機関から独立した第三者機関を作って目撃証言を集めるのも良いだろう。

なかなか人種問題から抜け出せないアメリカを見ることができて面白い。おすすめ。
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2019年06月14日

キブツの興亡史

Ran Abramitzky, The Mystery of the Kibbutz: Egalitarian Principles in a Capitalist World

The Mystery of the Kibbutz: Egalitarian Principles in a Capitalist World (The Princeton Economic History of the Western World Book 73) (English Edition)
The Mystery of the Kibbutz: Egalitarian Principles in a Capitalist World (The Princeton Economic History of the Western World Book 73) (English Edition)

ユダヤ人経済学者の著者は、自分のルーツであるキブツを分析している。

キブツは規模からいうとイスラエルの人口の2%を占めるにすぎない。でも農業でも工業でも生産シェアのかなりを占めているし影響力は大きい。なぜ成功していたのかを探っていく。
シオニストは20世紀初頭からイスラエルの地に完全な所得の平等を目指してキブツを建設していった。標準的な経済学が指摘するように、低い生産性の人物が集まってしまうし(逆選択)、勤勉に働かずただ乗りが起きるし、能力の高い人は他の社会に移ってしまうし、人的資本への投資を怠るという欠点を抱えている。しかし彼らはこれらの点を知ってか知らずか概ね解決していた。新境地を開拓するという人は多かれ少なかれ似たような境遇だったから逆選択はあまり生じなかったし、頭脳流出は固い絆を構築ーー所有権は放棄され貯蓄もなくまたプールやテニスコートなど公共財は豊富だったーーし離脱の費用を上げることで妨害し、プライバシーを認めず相互に助け合いかつ監視することでただのりを防止したのだ。家族のように助け合い規模の経済を達成したと見ることもできる。
労働参加率や労働時間を見るとしっかり働いているし、また文化もしっかり働くことを奨励している。狭い社会で監視されるのは有効だった。
低い生産性の人が入ってこないよう厳しく選別がなされたものの、やはり低賃金な人ほどキブツに入るという傾向は見られる。また非常に有能な人は離脱する傾向があるものの、その率は概ね低い。
教育には正の外部性があるため共同体としてはある程度までは教育を積んで欲しいものの、あまり教育がありすぎると外部の働き口に向かってしまうため望ましく無い。個人としては教育を受けようが受けまいがどうせ所得は平等になるのでしっかり学ぶ誘引は薄い。しかし試験結果などを見るとしっかり学んでいるようだ。
時が経つにつれてイデオロギーは薄まり、政権の態度は冷たくなり、外部の市場はより育った。困難を抱えたキブツにとどめを刺したのは80年代の金融危機だった。多くは負債を抱え公共財の提供ができなくなり、セーフティネットとして機能できなくなってしまった。90年代は改革が続き多くのキブツ内事業が民営化され賃金も差別化されるようになった。キブツの信頼は失われたのだ。
金融危機は自然実験として多くのことを教えてくれる。資産の豊富なキブツから離脱した人は少なく、平等な分配は保たれた。またイデオロギーに忠実なキブツも平等度は高かった。年寄りはあまり働かずまたイデオロギーにも忠実だが若い人の離脱を抑える必要があり、実際年寄りが多いキブツだと平等度が低いという傾向が見られる。
改革の早期と後期で比べると、より多くの高校生が高卒認定試験に受かっていて成績も上がっている。この効果は親の教育が低い子どもにより顕著に見られる。学生もまた環境の変化に反応するのだ。
北米には色々な共同体が平等を目指して入植した。長く続くにはキブツと同じように問題を解決する必要があった。外の世界から孤立するか同化するか、解決策は様々。誘引を軽視することはできないのだ。

繰り返しが多くて辟易するものの後半は面白い。おすすめ。

・著者は懐かしさを感じてるけど俺は不気味さを感じてどうも好きになれない。大学教育以上を望むと村八分なんて真っ平御免な社会だぜ。
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2019年06月11日

告発の構造

Patrick Bergemann, Judge Thy Neighbor

Judge Thy Neighbor: Denunciations in the Spanish Inquisition, Romanov Russia, and Nazi Germany (The Middle Range Series) (English Edition)
Judge Thy Neighbor: Denunciations in the Spanish Inquisition, Romanov Russia, and Nazi Germany (The Middle Range Series) (English Edition)

人はなぜ告発するのだろうか?お上に情報も力も与えてしまって自分の首を絞めることになっていってしまう。環境によりどう告発行動は変わるか?著者はこれらの疑問を解くためにスペイン異端審判・ロマノフ王朝・ナチスのゲシュタポの3つの事例を説明していく。
まず、抑圧は以下のように定義される。他人の逸脱行為を権威者に通知することだ。ここで、行為は必ずしも違法ではないし、しばしば政治的なものである。この後著者は二つのモデルを提唱する。
一つ目は弾圧モデルだ。権威者が民衆に告発するよう動機づけるーー告発すると賞賛ししないと罰するーー場合がこれにあたる。ここでは民衆はお上の保護や何らかの利益を求めている。二つ目は自発モデルだ。特に強制しないものの告発を奨励する場合がこれ。ここでは民衆はチクることで知り合いを陥れて得をしようと動く。告発の他の説明要因としてイデオロギーや安全保障や集団間摩擦は排除していく、というのもそれらは3つの事例において当てはまらないからだ。この二つのモデルは告発数が大きくなるという予想を生むがこれはまさにそのとおり。しかし、お上が念頭に置いている容疑者が告発されるかどうか、地理的に近いかどうか、関係が近密かどうか、社会的属性が近いかどうか、誤った告発がされるかどうかという点において違いが出てくる。弾圧モデルだと権威者に敵意が向かい、自発モデルだと民衆に敵意が向かうだろう。
さて、スペイン異端審判を見てみよう。イザベラ女王は統治の初期において決して盤石な基盤があったわけではなかった。彼女は権力を安定させるために様々なことをした。異端審問はその一つだ。最初の布告は弾圧モデルだったが、次の布告は自発モデルだった。前者ではお上が念頭に置いていたであろうユダヤ教徒が告発されやすく、後者では地理的にも関係的にも属性的にも近い相手が告発されやすかった。
ミハイル・フョードロヴィチ・ロマノフが王権を手にした際、権力構造は不安定だった。彼の王朝は権力を安定させるために告発を利用した。告発する人も牢屋に入れられてしまうリスクがあったり情報源としての秘密が守られない傾向にもあったがそれでも告発は絶えなかった。これは自発モデルの予想する傾向に沿っている。彼らはリスクにもかかわらず告発したがそれは衝動的・感情的な理由からだった。一方すでに投獄された人々は悲惨な牢屋から逃れようと告発した。これは弾圧モデルに沿っているが、取調べで一時的にマシな扱いは受けるものの望んだように罰を逃れることはできなかった。
ナチスもまた政権を握った後その基盤を固めるために告発を利用した。誰でも告発することができ、痴情のもつれでさえゲシュタポに通報されることもあった。これは自発モデルに該当する。過去の行いを罰するという特徴があり戦後もその影響は大きかったようで、ナチに協力したという告発がなされた。
告発でどのモデルを採用するかに関わる点は二つある。一つは正統性だ。権威者が民衆の服従を期待できるなら自発モデルで十分だけど、そうでないなら弾圧モデルが必要となる。もう一つは緊急性だ。のんびり構えていればいいなら告発者が現れるのを待てばいいけど、急いでいるなら密告者を採用して積極的に取り締まる必要がある。現代でも、司法取引や内部告発や犯罪通報や反テロといった場合には告発が利用されている。技術は進歩しているけど告発がなくなるとはまだまだ考えにくいようだ。

簡潔でデータも面白い。おすすめ。

・ロマノフ王朝の頃から密告だらけだったとかおそロシア。ソビエトでもそうだし歴史は繰り返すのだな。
・民主主義の醸成には信頼を要するという議論がよくあるし自分も納得しているけどドイツのゲシュタポの例はどうとらえたらいいだろう?告発して足を引っ張り合うような相手に信頼なんて生まれないわけで、でも今のドイツは押しも押されもせぬ民主主義国家なわけで・・・。ナチが悪いという神話が効果的なのか、それともドイツの民主主義は実は薄っぺらなものなのか。
posted by Char-Freadman at 21:08| 北京 | Comment(0) | ぶっくれびゅー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月08日

ロックの経済学

Alan Krueger, Rockonomics

Rockonomics: What the Music Industry Can Teach Us About Economics (and Our Future) (English Edition)
Rockonomics: What the Music Industry Can Teach Us About Economics (and Our Future) (English Edition)

著者は音楽業界を俯瞰し、現実の経済の分析に繋げていく。

音楽業界は変化し続けている。2000年代にデジタル化が始まり海賊版の横行でCD売り上げは激減したが、代わりに配信サービスが伸びてきて総売上は安定してきた。アーティストに直接お金が入る仕組みも発達してきている。ミュージシャンは収入の多くをライブから得る。慈善活動をすることもあり、知名度を上げるのは利益の向上に繋がることもある。
ミュージシャンは音楽が好きだからこの仕事を選ぶものの、自営業者なので経済的に安心するのは難しい。UBERやAirBnBなどの興りでギグエコノミーと呼ばれる短期雇用の形態が注目されてきているが、彼らはそのはしりだ。未払いに遭うこともある。イメージとは異なり、普通の人より教育を積んでいるがこれは集中して長期間練習することからくるのだろう。のし上がるまではバンドは公平に利益を分けるが、その後は中心の人がより分け前を得るようになる; そうでないと分裂するからだ。作曲が複雑化し宣伝の意味も兼ねてコラボが増えている。クスリや鬱の影響が大きい。貧困家庭からも夢を掴める。男が占める割合が依然として高い。
市場にスーパースターが生まれるには二つの条件が必要; 多くの客を相手にすることができることと、替わりが効かないことだ。音楽はこの条件を満たし、ミュージシャンの人気は冪乗則に従う。米英の経済は音楽業界と同じように不平等化が進み一部のスター企業は不当に賃金を低く抑えることができるほど成長してしまった。
ちょっとでも人気のものはより人気が出てくるのが音楽の特徴だ。幸運が重要なため、他の業界に比べて才能ある2世の活躍は少ない。多くは一発屋で終わる。しかしリスクを抑えるよう多くのジャンルのアーティストを抱えるレーベルはほとんどない。
ファンを搾取してはならないとの規範から長いことチケットの価格は低く抑えられてきた。そしてファンは日程調整が不透明だったり発売日を知らなかったりするため、ダフ屋が出現することになる。ダフ屋は一番高値を付ける人にチケットを配るという配分の効率性を高めるものの、一般購入者と競争するし中古市場での取引にはコストがかかるしという欠点もあるため、規制しても良さそうだ。実際Verified Fanというシステムはボットもダフ屋も弾いてちゃんとファンがチケットを買うようにできているため、広がるだろう。ボーモルのコスト病は技術の発展が著しい音楽業界には当てはまらない。とはいえチケットの価格は高騰し続けている。
ミュージシャンにとって契約は難しい。スターは高い前金やロイヤルティを得られるものの、新参者はそうはいかない。人気が出た後には再交渉の余地はある。多くのバンドは仕事仲間として10代の頃からの付き合いのある人物と接するため、どう分配するかの契約はやはり難航する。彼らの収入は予測しづらく、使いすぎてしまうこともある。
海賊版の横行で苦しむ音楽業界を救ったのは配信サービスだった。色々なアーティストの曲を色々なプレイリストで提供してくれる。宣伝にも使われているし個人の好みを情報として蓄えその人に合った曲を教えてくれる。著者は配信サービスにまつわる3つの誤解をとく。まず、ゼロ和競争ではない; どんどん客は増えるしそもそも一人のミュージシャンが占める割合は非常に低い。次に、配信サービスごとに払われている額はそのサービスの寛大さを示すわけではない; 利用者が多ければ額は上がる。最後に、アルバムの売り上げに配信数を相当させる方法はない。いくつもの配信サービスが客の利便性に関して競争しており、まだまだこれから変化しそうだ。
音楽の著作権を認めるのは難しい。メロディが違っていても構成が同じだと起訴されて負ける可能性がある。知的所有権は利益の一時的な独占を認めることで新しい製品を作ってくれる誘引を引き出そうというシステムだが、歴史的に見ると役に立ってこなかった。ちなみに海賊版の横行をもたらしたナプスターの登場前後で比較すると音楽の質も量も上がっている(が、コスト低下の貢献が大きいからかも)。とはいえミュージシャンを社会的に公平に扱ったり、業績を承認したり、政治利用されないなどのコントロールを与えるという側面があるからやはり保護する利点はある。現状ではラジオやyoutubeは不当に優位な扱いを受けており、色々なサービス業者が中立に扱われる法制度が望まれている。
人は自分の国の音楽を聴きがちだけど2004年以降はその偏りが減ってきている。ミュージシャンは多様化しているのだ。中国の音楽市場の拡大は目を見張るものがある。政府が介入するリスクはあるもののこれからも巨大化するだろう。
音楽を聴くのは楽しい。通勤さえ楽しくなるし楽しい経験はもっと楽しくなる。脳の治療にも良い。余暇をどう使うか頭を悩ませてる人は、音楽を聴くという楽しい経験にお金を使うと良さそうだ。

多くのミュージシャンのインタビューも楽しい。おすすめ。

・楽しくて弾いてるんだから著作権なんて認めなくていいと思うけどなあ。アレンジ上手い人にじゃんじゃん弾いてもらった方がいいしコントロールしないでくれた方がいいわ。
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2019年06月06日

なぜの本ーー観察研究の復権

「なぜ」を説明することに正面から取り組んだ本が出ていた。Judea Pearl, Dana Mackenzie, The Book of Why

The Book of Why: The New Science of Cause and Effect
The Book of Why: The New Science of Cause and Effect

因果関係は3段構造になっている。1段目は連関で、これは観察したものについての予想をする。例えば、「歯磨き粉を買った人はデンタルフロスを買うだろうか?」という疑問はこの段階。機械学習はこの段階にいるに過ぎない。2段目は介入で、これは環境を変化させた場合の予想をする。例えば「歯磨き粉の価格を2倍にしたときのフロスの売れ行きはどうなるか?」という疑問はこの段階。観察するだけでなく実際に世界を変化させないといけないから段階が異なるのだ。他の要素が絡んでいるかもしれないから観察結果だけ(1段目)ではこの疑問には答えられない。実験で答えるような疑問がこれ。3段目は反実仮想で、これは「なぜ」について答える。時を巻き戻してそれが取られなかった場合について考えることになる。例えば「歯磨き粉を買った人は価格を2倍にしたときどれくらい買う確率があるか」を問う。世界が変化した理屈を考えるのは因果関係の仕事であり確率の仕事ではない。
いかに知性や身体の特徴が遺伝するかを探る過程でゴールトンはしくじり、平均への回帰を説明しようとして因果関係を結局は放り出すこととなった。統計から因果を放逐しようという教義はその後根深く残り、ピアソンもフィッシャーも相関にだけ気を配り続けた。しかしシューアル・ライトはパス図を開発した。これはどの要因がどう効くかを係数と矢印でもって示したもので、因果を説明する大きな飛躍となった。問題設定者が仮説を持って書き下さなければならず、データに語らせるということはできないのだ。
「起こりそうにないことが実際に起きたと納得するにはどれくらい証拠が必要だろう?」ベイズ牧師の頭を悩ませていたのはこういう疑問だった。ビリヤード台のある位置までに止まる確率は計算しやすいが、球の止まった位置からビリヤード台の長さを推測するのは非常に難しい。結果から原因を推測するにはかなりの情報が必要となる。AIの発達にあっては世界ではなく専門家の行動をモデル化しがちであり、失敗が続いていた。そこでベイジアンネットワークはいくつかの変数をまとめ、人間の脳が情報を伝達させる方法に似せることにした。階層構造にして信念を伝達させるという方式でベイズの法則に従うというものだ。カバンを見つけたり犠牲者のDNAを調べたり電話に使われたりと広く応用されている。
RCTはしばしば黄金基準と言われるがこれは交絡変数のバイアスを避け研究者の不確実性を量で表せるからだ。そもそも交絡変数というのは統計学の概念ではなく、計りたいもの(因果関係)と統計的方法で測れるものの間に存在する。ここで著者は因果関係ダイアグラムではっきりどの変数がどう影響しているか書くよう提唱する。A→B→Cという繋がりならBをコントロールするとAからCへの情報は遮断され、A←B→Cという繋がりならやはりBをコントロールするとAからCへの情報は遮断され、A→B←Cという繋がりならBをコントロールすると逆にAからCへ情報が流れるようになる。変数から変数へ情報が流れるようにコントロールする変数を選んでいけば良い(裏口基準, back door criteria)のだ。この考え方はシンプルかつ力強い。タバコが肺がんを引き起こすことも、モンティ・ホール問題がなぜ混乱して見えるかも、シンプソンのパラドクスがなぜ混乱して見えるかも解決してくれる。情報がどのようにして得られるかは情報自体と同じく重要なのだ。著者はまた玄関基準(front door criteria)というものも導入し、変数から変数への介入効果を示していく。do作用素を利用することで階層の1段階目のデータ(seeing)を使って2段階目の介入(doing)の影響を測ることができるのだ。観察研究の復権と言える。
シトラスは壊血病を防いだが、酸味が壊血病を防ぐと誤解されたからか次第にビタミンを含まないようなもので防ぐことができると勘違いがなされるようになってしまった。直接どれだけ効いているのか測るのは非常に重要な問題と言え、何人もの統計学者を悩ませてきたこの媒介分析も3段階目の反実仮想を利用し鮮やかに解いていく。大学の入学審査が差別をしているのかも、教育がどれだけ雇用に効くのかも、教育政策がどれくらい成績を伸ばしたかも、同じ枠組みで解ける。反実仮想の素晴らしさは、政策の結果が誤っていたときにどう正せばいいかわかることだ。
ビッグデータの時代にあってデータが全てを語るという安易な立場に著者は懐疑的だ。強いAIは反実仮想を扱って自ら学ばなければいけないだろう。

因果推論について非常にわかりやすく説明されている。挿絵も非常に可愛らしく、おすすめ。
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