2012年02月05日

規制の訴訟的起源

汚職の経済学者、最新刊!

"The Failure of Judges and the Rise of Regulators", by Andrei Shleifer



こんにち我々を取り巻く規制は多い。新規雇用、就業時間、雇用関係や組合加入にいたるまで多くの決まりがある。

でも、何でそんなに多くの規制があるのだろう?

情報の非対称や外部性や独占など、市場の失敗があるときは政府の出番を認めようという考え方がある。
しかし、適切な契約を結ばせたり、私的な秩序によって解決することも可能だ。また、公務員も万能ではなく、贈収賄の恐れもある。

これらの理屈から政府の出る幕はないと思うかもしれない。ただ、実際には多くの規制があることに説明がつかない。
裁判官が万能ならば個々の契約に関して不法行為の成立をその都度確かめることができよう。でも、専門的過ぎる場合は弁護士の言うことを鵜呑みにしてしまうかもしれないし、偏見もあるし、時間がかかりすぎたりする。以上の理由から裁判の予測可能性は低くなるだろう。
ならば、裁判所で扱いきれないときに、専門的な規制を扱う役所を作ることが効率的になるかもしれない!もちろん規制にもデメリットはあるけれど、2者の比較の上で、より優れたほうが選ばれているというのが本書を通しての主張だ。基本的にはその流れでシュライファーの論文がまとめられている。

2章は(一審の)裁判官の裁量について。先例が無い場合、偏見に添う形で事例の解釈がなされる余地は大きい。歪みをもたらす可能性があり、裁量の余地を縮めるような"bright line rule"の存在が望ましい場合がある。"economic loss rule"はその例だ。

3章はコモンローの進化について。同じような事例に関しては同じような裁きが下されるのが望ましい。判例がそう収斂していくのはいかなる場合かに関して考察がなされる。偏見があったり過去に強く依存するだろうけど、多様性が収斂を導く可能性はある。先例拘束性がある場合、以前の判例と当該事件とを「区別し」新しい基準が導入される。

4章は法秩序の進化の実証。建設業界に関しての判例をみ、economic loss ruleという原則が当てはめられる傾向にあるかをチェックする。建設業界での紛争は同質的とみることができるかもしれないが、どうも収斂は見られない。それは各州の控訴審が「特例」として認める事例を増やしているからだ。

5章は法の形式主義について。権力者の影響から裁判制度や訴訟当事者を守るために、訴訟過程に形式を導入することが望ましいかもしれないと、しばしば主張される。通常よく知られるとおり、この形式主義は英米法よりも大陸法の国で見られることが、弁護士事務所の協力によって得た109ヶ国のデータ(!)比較によってまず示される。しかし、他の用件を一定にすると、「形式主義は裁判を長引かせたり質を下げたりするだけ」という衝撃的な結果が示されている。宗主国によって勝手に導入された法は現地の実態にそぐわず、形式主義はむしろ悪化の要因なのかもしれない。

6章は規制国家の出現について。19世紀後半に産業発展が進むと、判事の理解が追いつかなくなり、権力者によって裁判所の意思決定がゆがめられているとしばしば指摘されるようになった。市場活動によりもたらされる害が大きい場合には規制が望ましいことが示される。

7章は規制と裁判の比較について。裁判官が事案をよく理解していないと、正しく裁きを下すことはできない。金融契約がまさに典型例。やる気を出させるのは難しいけど偏見はないのが判事、やる気を出させるのは簡単だけど偏見に弱いのが当局の公務員であり、トレードオフがある。ポーランドは投資家保護を目的とした独立の金融当局を設立したため金融市場の発展に成功したが、それを欠いたチェコは失敗に終わった。

8章は法の起源の比較。英米法と大陸法の差はどこから生じたのかが考察される。各地域で暴力や不正な金銭授受が横行していない場合は、陪審制にして紛争を解決しても、地方貴族の妨害に合わず望ましい。そうでない場合は、王の下で中央集権的に裁いたほうが望ましかったとみている。国王権力の強いイギリスでは各諸侯は王に対抗しようとしたが、国王権力の弱いフランスでは各諸侯は「各諸侯に対抗するために」王を担ぎ上げたとのこと。ただ、大陸法のもとでは専断的な権力の制限はできず、正義の実現というよりは政治目的での裁判所の利用が横行してしまう。その結果、所有権の保護は進まない。

9章は規制と裁判の比較を行う。より均一的な事例が生じる場合は規制のほうが優れているかもしれない。実際、人口が多い場合はより徹底した規制となっている。規制委員会を立ち上げるには固定費用がかかるが、人口が多い場合はその負担がより軽くなる。たとえば労働の安全面ならばかなり標準化された基準があるので、規制の利用が効率的。

10章は新規事業立ち上げの妨害について。多くの妨害があることを示したde Sotoに触発され、質を守るために規制があるというよりは、既存の既得権益を守ったり贈収賄のために規制があることが示されていく。

・全体としては裁判の予測可能性が低い場合を強調したいはずなのに、3章では「平均的には」収斂が見られるかもしれないという命題があり、一貫性に欠けているようにみえなくもない。
・裁判所と規制の比較が主眼なはずなのに、8章の内容は英米法と大陸法の比較。しばしば引用される超重要文献だが、本の中で浮いている。
などのアラはあるけれど、裁判所が経済学的に分析されている稀有で刺激的な本でした。先例拘束性、リアリズム・プラグマティズムなど英米法にある程度知識があると読みやすいかと思われます。

(補足)論文集なので、各論文を無料で閲覧できる環境にある人は、書き下ろしの1章の21Pのためだけに3000円支払いたいかは考えどころ。
2章;"Judicial Fact Discretion.", Journal of Legal Studies 37:1 (2008)
3章;"The Evolution of Common Law", Journal of Political Economy 115:1 (2007)
4章;"The Evolution of a Legal Rule." Journal of Legal Studies 39:2 (2010)
5章;"Courts" Quarterly Journal of Economics Vol.118(2)
6章;"The Rise of the Regulatory State." Journal of Economic Literature 41:2 (2003)
7章;"Coase vs. Coasians," Quarterly Journal of Economics Vol.116(3)
8章;"Legal Origins." Quarterly Journal of Economics Vol.117(4)
9章;"The Extent of the Market and the Supply of Regulation." Quarterly Journal of Economics Vol.120(4)
10章;"The Regulation of Entry" Quarterly Journal of Economics Vol.117(1)

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(感想)
・5章や8章の結論は「法のツギハギがあると色々と不都合が起きる」と解釈もできるよね。日本の場合はどうなるのかしら?民法典論争に詳しい(&解説が易しい)文献をあたってみたくなった。
・8章はエクイティの存在を忘れている。エクイティが市民から求められて生まれたのは、まさに「判事が有力者の圧力を受けて救済が正しく受けられない」からだったはずで、この出現を説明しきれないよね。。。ポリサイのU先輩、指摘ありがとうございます。
・判事がどう考える(べき)かをお洒落に描写した"How judges think"(by Richard Allen Posner, )がボコボコに叩かれていた。共著者なのに・・・w興味があるので今度読んでみることにする。
・しょっぴかれた経験から裁判に興味が湧いたのかナァ。分析の是非は主張者の背景には拠らないし、面白けりゃ何でもいいんだけど。
posted by Char-Freadman at 16:06| 北京 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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