2012年02月13日

天は人の上に人を造らず

格差拡大に興味が湧いたので、"The Race between Education and Technology" (by Claudia Goldin, Lawrence Katz)を読んでみた。二人とも労働経済学の超大物です。



さまざまな指標が、アメリカでの格差の拡大を示唆している。本書は統計を駆使し、その原因を解明していく;教育の拡充が不足しているのだ!

技術進歩のうちには、優れた技能をもった人だけが得をするようなものがある。たとえばコンピュータを起動してみて欲しい。使いかたすらわからないアプリはないだろうか。プログラム言語の達人なら使いこなせるだろうけど、そうでなかったらPCは厄介者だろう。これは経済学で技能偏向型技術進歩(Skill Biased Technological Change)と呼ばれている現象で、技能の有無が勝ち組と負け組を分けるようになる。
でも、それはお話の半分。技能への需要が高まったとしても、供給する人が増えれば、なんら格差は拡大しないわけだ。大学教育の広がりが遅れているからじゃないか、というのが本書の指摘。

1章では人的資本の重要性を語る。20世紀を人的資本の世紀と呼び、労働生産性の上昇はかなりの程度教育で説明できる。実際75年程度にわたり教育水準は伸び続けた。しかし80年代以降は伸び悩んでいる。

2章は不平等度をみていく。75年程度にわたって格差は縮小したし学歴へのリターンも薄れていったが、70年代後半になるとその状況が逆転した。

3章は技術進歩について。歴史的に見れば、技術進歩は必ずしも技能偏向型ではなかったことを確認している。職人から連続工程かつ回分式操業の工場へと生産現場がうつったときをみてみよう;職人ひとりと工場の作業員なら、前者のほうが技能がある。格差の原因は技術進歩だけではないのだ。

4章はアメリカ教育の原点について。それは以下のような特徴を持っていた;政府がコストを負担して供給し、財政基盤は独立しており、政教分離がなされ、男女平等で、開放的かつ寛大であった。エリートの育成を目指したヨーロッパとは対極的であり、平等主義とまとめることができる。先見の明のあった政治家は居たけど、教育の無償化は概ね草の根運動によってなされた。

5章は高校教育の起源について。様々な職種でいかなる教育が求められたかが綴られる。教育水準の高い労働者が求められるようになったため、高校のある地域が増えていった。

6章は高校教育の変化について。高校を卒業している率は男より女のほうが一貫して高かった。学校間に競争があり、住民が同質的で、より富裕であるとき、高校が創立される傾向にあった。大都市ならば高校に行かずとも職があるため、むしろ人口の少ない都市のほうが高校がたてられたようだ。教師の給料はさほどのびていない;弾力的に供給がなされている。またカリキュラムも変化している。

7章は大学教育について。最初は男女の卒業率に格差があったけど、縮小傾向にある。公立と私立とが競争し、規模と種類の両面で拡大していった。最初は教育に重点があったけど、次第に研究向けになっていったとのこと。

8章は格差について。大学教育の拡充は技能への需要に間に合わず、格差が拡大してしまったようだ。

9章では教育が成功の鍵であるのか再度問う;力強く答える、是であると。

題の"Race"とは、教育の拡充と技術進歩とに競争関係をみているとの意だそうで;前者が勝つなら格差は縮小し、後者が勝つなら格差は拡大すると
著者のアメリカへの愛がそこここに現れていた。この手の経済書にしては珍しい。

研究大学について、ユダヤ人研究者の流入にがスルーされていたのは気になったところ;まあ定着した理由(ペイするし居心地も悪くない)は述べられているんだけども。

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何で興味が湧いたかといったら、最近アメリカの経済ブログでこんな本が物議を醸していたから;



道徳の崩壊のせいで格差が増大している、とか何とか。

経済学者はカネの問題だとバッサリ。
http://www.nytimes.com/2012/02/10/opinion/krugman-money-and-morals.html
"So we have become a society in which less-educated men have great difficulty finding jobs with decent wages and good benefits."
クルーグマンの理解のほうが正しいように見えるなー。
興味湧いたけど価値判断に不必要に飛び込んでいる残念なジャーナリズムの本にも思え、うーん。
posted by Char-Freadman at 16:03| 北京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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