2013年03月24日

伝統社会から学べること

伝統社会は小さな人数の集団からなる。複数の家族から構成されるほど小さなものから、政治リーダーのいる大きな集団まで様々だ。伝統社会と現代社会との最大の差は、出会う人々が見知らぬ人であるかどうかだ。本書は伝統社会から学べる点がいくつかあるのではないかと提言していく。

“The world until yesterday”, by Jared Diamond



1部は伝統社会の描写にあてる。それぞれ相互に不可侵の土地からなり、移動の自由は無い。そのため「知っている人なら味方であり、知っている敵がおり、知らない相手なら敵の可能性が高い」という認識が生じる。このため故郷を離れた土地のことは無知になる。
2部では問題解決の方法を探る。
刑事事件が生じた際、現代社会では国家権力が善悪を決め、被害者の家族への弔慰はそこそこにして加害者への懲罰が下される。いっぽう伝統社会では、今後も付き合いのある相手に対して以前の関係を取り戻すため、償いに重点が置かれている。伝統社会には欠点があるーーたとえば政治力のある集団の構成員なら交渉力を持つし、調停に失敗したら際限なく復讐がなされるーーとはいえ、調停をもっと利用したり、被害者と加害者が対面してお互いを人間であると認識するようなプロセスがあるとよいのではと提言される。
伝統社会は現代社会との接触があると変質してしまうため、研究は難しい。とはいえ直接観察、死体や武器など考古学的史料、古代の絵画を眺める、などの方法はある。「異なる政治集団に属する人たちの間で周期的に起きる、集団として対抗される暴力」が戦争と定義される。(というのも現代社会からしてみたら小規模すぎるため)死傷者の人数こそ小さいが、人口に占める割合からいったら非常に高い;二次大戦の期間の大国ですら伝統社会の平均のような死亡率なのだ。直接戦闘や急襲、だまし討ちといった戦術が用いられる。職業軍人がいるのが現代社会の特徴であり、伝統社会では老いも若きもすべてが戦闘員になる。リーダーがいないため、攻撃を協調させることができず、あまり効果的に攻めることはできない。伝統社会では全面戦争がなされ、資源に余裕も無いため皆殺しにされる。(生む機械として女は収奪されることもある。)戦争終結にも違いがあり、伝統社会では代表がいないため各々の復讐を抑えることができない。このため平和維持は不可能であり、すぐにまた紛争へと繋がる。現代では復讐心は恥ずべきものとされ隠すように教え込まれるが、伝統社会ではその逆で敵の殺害は褒めそやされる。

3部は幼児と老人の扱いについて。
栄養面から選択的に嬰児殺しや育児放棄がなされるし、出生時の死亡率は高いし、刃物や火などの危険物と遊んでいても放置され、戦争やセックスの真似事は幼いときから始める。これらは現代社会には受け入れられない習慣かもしれない。とはいえ、乳母車に押し込めるよりは親と同じ視線でものを見られるようにしたり、多くの人が疑似親の役割を果たしたり、赤ん坊とのふれあいを増やしたり、同い年以外の世代と遊ぶことで幼児の扱いに早いうちから慣れたり、出来合いの玩具をあげるよりは創造的な遊び方を促したりすることは、学んでもいい点かもしれない。数万年もの間実行されてきている方法ではあるのだから。
老人の価値は社会ごとに異なる;手工芸や子守りや生き字引として機能するのだ。極端な場合には、老人のみある食べ物の消費が許されるようなタブーがあったり、40歳以上になるまで男子の結婚を禁じ複数の妻を有するようなこともある。それらに比べるとアメリカ社会での老人の地位は低い;勤労を尊ぶので退職者は軽視され、個人主義が浸透し、若さへの固執がある。多くの人が故郷を離れるため、老境に至ると長年の友人や家族とともに過ごすことは困難になり、老人ホームで孤独な生活を送るようになってしまうのだ。子育てを手伝ったり、忘れ去られた経験の保有者として後進の育成に励み、経験が生かされるような分野で働くといいのではないかと提言されている。

4部は危険について。偏執的と思われるほど危険回避に備えるが、それは伝統社会の危険は死に結びつきやすく、小さな確率とはいえ無視できないものだから。話し好きなのは、ゴシップがテレビやラジオの代わりの娯楽という面もあるけれど、世界を理解し危険に備えるという面も大きいのだ。
社会はそれぞれ別の危険と直面している。伝統社会なら、猛獣や天候、暴力や飢饉に備える必要がある。現代社会ではリスク評価が甘くなっているかもしれない。というのもリスクに備えることに慣れすぎていたり、危険な状態から得る便益が大きかったり、自分の手でコントロールできるものはリスクが少ないという錯誤を持ったり(例えば運転)、果てはリスキーな行動を好んだりもする。

5部は宗教、言語、健康について。
超自然的な存在がおり、同じ信念を共有する仲間の社会運動となり、その所属にはコストが伴い、実践的規範を持ち、神は正しい行いにより現実に介入してくれる、これらの要素を持つものが宗教。これは因果関係を解釈しようとする能力の副産物。世界の説明を与え、不安を解消し、人生に意味を与え、組織を作り遵法精神を育み、よそ者へも友好的に接するようにし、戦争を正当化し(伝統社会ではその正当化に宗教を必要としない!)、シグナルとなる。スキルを育んだり出産を奨励したり、あるいは他宗教からの改宗に成功したりする宗教が、結果的には普及することになる。

多くの言語は絶滅の危機に瀕している。多国語が話せると、ルールが頻繁に変わるような場合にも適切な行動が取れるようになる;老人になった際もアルツハイマーに罹る可能性が大きく減る。これらのメリットを考えると、言語を残そうとしてみてもいいかもしれない。

現代社会の死因の多くは非感染性の病気。塩の取り過ぎは高血圧など体の不調をもたらし、砂糖の取り過ぎは2型の糖尿病の原因となる。西洋式の生活は狩猟中心の生活に適したヒトには不都合。運動し、ゆっくり食べ、新鮮で脂肪分の低い食品を取ることが重要。

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(おまけ)
・中央集権というか西洋からの介入を示唆する危険な思想だとして伝統社会を重視する人たちからは総批判を浴びている模様;
http://www.livinganthropologically.com/2013/02/06/yanomami-science-violence-empirical-data-facts/

危険な地域に住みたければ住んでればいいんじゃないでしょうかね。伝統社会の方があぶねーよっていう指摘は他の人もするところで…;



・ジャレドダイアモンドが複数の社会を調べているのは、「歴史に対してそれぞれの社会は実験結果と見ることができる」という発想から。こんな本も編集している;



とはいえ対照群と実験群を分けるのは難しいよねえ…。

・国家建設に関しての議論はちょっと苦しいとの批判も;
http://www.democracyjournal.org/28/past-perfect.php

地理は繁栄の直接的原因だとするダイヤモンドに関し、いやいや全員参加型の制度があるときにのみ効いてくるよと言いたげ。

(感想)
・カントが「世界平和のために」で移動の自由が啓蒙には重要だとか言っていて当たり前じゃねとか昔思ったのだけど、彼の生きていた頃にしてみたらずいぶん先駆けた発想だったのかもしれない。

・遺伝子と文化は共進化するとの証拠もあるようだけど(たとえば乳糖を分解する酵素は酪農が盛んな地域生まれの人には備わっている)、友情という神経反応もそうだったりするんだろうか?私が友人を作れるのも、中央集権がなされて大規模人数からなる集団が1000年以上続いたおかげなのかなぁ、などと。

・ダイヤモンドの主張する「家畜化できる動物の分布やら植物の分布やらは繁栄の直接的原因」というのは先史時代〜産業革命には成り立つけど、産業革命以降はAcemogluらの主張するような「全員参加型の制度が繁栄の原因」という仮説が成り立つとして総括してはいかんのかな?(そりゃ後付けで科学的態度じゃねーよ、という声が自分の中からも聞こえてくるけど…)

・この本の最大の貢献は「制度比較する際のサンプルを増やした」ことかも。いかなる制度が発展に効いてくるか考慮したい際、国家や部族未満の集団で暮らす人たちのことってあんまり議論の俎上にのぼらなかったわけで。
posted by Char-Freadman at 08:36| 北京 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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