2020年09月03日

監獄の比較制度分析

David Skarbek, The Puzzle of Prison Order: Why Life Behind Bars Varies Around the World

The Puzzle of Prison Order: Why Life Behind Bars Varies Around the World (English Edition) - Skarbek, David
The Puzzle of Prison Order: Why Life Behind Bars Varies Around the World (English Edition) - Skarbek, David

ノルウェーの監獄は快適だが南北戦争のアンダーソンビル捕虜収容所は極めて過酷で多数の死者が出た。監獄内の統治のあり方は様々でありその差がどのように生じるかを説明するのが本書の目的となる。確かに囚人は全人口に対し少ないが、無秩序が蔓延しては生活の質が酷いものになるし、ほとんどの囚人は釈放される。塀の中から外の犯罪を取り仕切るギャングもおり、何が起きているのかを理解する必要は高い。官吏が十分に資源を配り統治が行き届くなら囚人は法の外での統治を行わないが、官吏の統治が不十分なら囚人自体が統治を始めるだろう。統治する利益がその費用より低ければ囚人は秩序を形成しないだろう。そして人口が少なくネットワークが密で社会的距離が近いなど規範からの逸脱を罰しやすければ囚人は分散型の統治を行うようになろう。これらの点を具体的な監獄の事例に即して検証している。
ラテンアメリカの監獄では予算も刑務官も不足している。食料と清潔な飲料水は足りない。そのため囚人たちは自ら統治している。ブラジルでは刑務官との共同統治となっている。囚人代表は即物的な利益を得ているわけではなく、不平等は生み出していない。囚人を牢獄にどう割り当てるかや新参者がどれだけ危険かを見定める役を担っている。また清掃や調理や集配や修理など日常業務も行う。刑務官は囚人代表を通して意思疎通を図り監獄へは入らない。囚人の役割は重要で比較的効果があり共同統治という形態にでき、囚人は官吏を補助できるのだ。ボリビアでは入獄と出獄が公的に決められる以外全て囚人に委ねられている。活発な市場があり何でも買える。囚人は民主的に代表を選び自治を行い、財務官や懲罰長官やスポーツや文化や教育の長官などがいる。性犯罪者は村八分に遭う。子や妻を連れてきて一緒に住む囚人もいる。ブラジルでもボリビアでも監獄に秩序はあるが貧困に満ちている。しかしそもそも資源が足りないのであり虐待や拷問がないだけマシであろう。政府がやらないなら囚人が統治をするようになる。その形態は上からでも下からでもあり得る。秩序の作り方は様々だ。
北欧諸国では刑務官の統治が行き届いている。監獄は小さく有刺鉄線や柵のない開放的なものすらある。閉鎖的なものは全体の2/3ほどだ。刑務官の教育水準も高い。重罪犯が収監されるところでも囚人間の対立はあまり起きないし暴力沙汰にもならない。それは、危険で邪悪で倫理が欠けている人とは接触しないものであり、監獄に適応できない人は避けられがちで、性犯罪者や密告者など低い社会的地位のものは追放されるからだ。麻薬は市場での交換ではなく囚人間での互酬的共有により消費されている。これは一種の規範でもあり、そうすることにより麻薬にありつける。治療目的で刑務官により持ち込まれ厳しい管理のもとに置かれているが過剰な処方により蔓延している。保管すると看守に見つかるかもしれないので交換ではなく共有によりすぐに消費されているのだ。囚人には評判があることもこの仕組みに寄与する。回避や追放など分散的な処罰方式が可能なことが薬物蔓延にも繋がっている。政府がしっかり統治していれば囚人の役割は小さい。これは市民間の信頼のためではない、なぜなら北欧の方が南米より他人を信頼しているからだ。また信仰のためでもない、なぜなら囚人は不信心だし統治に宗教団体が関係するという証拠もないからだ。
南北戦争時のアンダーソンビル捕虜収容所では刑務官も囚人も統治をしなかった。これは孤立した場所だった。管理者も物資も足りず住居が建てられずテントすら不足しており、下水は整備されず悪臭が漂っていた。混雑しすぎたため次第に捕虜は他の収容所に送られることになった。他の収容所に比べ死亡率は圧倒的に高かった。命令系統は錯綜していた。貧困が蔓延し餓死者が出た。孤立しているため家族はやって来ずまた近隣住民は進入禁止とされたため経済活動の機会は限られていた。暴力沙汰は多く次第に略奪は組織化され、新参者がその対象となった。治安のあまりの悪化に対応するため囚人による自警団が形成されたが略奪の恐れがなくなるとこの秩序は消えた。政府は効果的に統治できないだけでなく囚人と外の世界との交流を防ぎ自助努力の余地をなくしてしまった。自由があれば秩序を形成してそれを守ろうとしたはずだ。また反乱の恐れから囚人が資源を蓄えるのを恐れた。そして囚人はすぐにまた北部に戻れるという誤情報をつかむことが多く、秩序を形成して長期間過ごすという動機が失われていた。ほとんど統治がない事例といえよう。
カリフォルニアの女性受刑者の社会は1960年代とあまり変わりがない。男性受刑者の社会は監獄内ギャングに仕切られるようになったことと比較すると大きな差がある。これは女性の方が暴力に頼る傾向がないからというわけではない、なぜならギャングには女性も多いし受刑者が暴力行為に及ぶ頻度は男女とも差がないからだ。それより囚人の数があまり増えていないからというのが原因だろう。自分のことは自分でやる、友人は少なくする、互いに面倒を見る、他人を信じない、告げ口しないなどの規範が保たれている。無視や噂や暴力の脅しで対立は解決されている。規範に従うほど地位が高いとみなされる。誰かが秩序を保つという任に当たっているわけではない。多くは擬似家族を形成する。世話や保護をするのが母親と呼ばれ、規律付けるのが父親と呼ばれる。既に刑務所暮らしが長くどう過ごせばいいか解っている人は入らない傾向にある。男の監獄内ギャングと違い重要なのは個人の評判であり集団ベースで報復が行われることはない。また永遠にその一員であるということはなく重複もしうる。前科は問われない。人種は混合している。
イングランドとウェールズの監獄はカリフォルニアのそれと比べ規模が小さく、地縁のあるものが同じ刑務所に入りやすい。どんな相手なのかすぐにわかるため秩序を作るには規範に従わない者を無視するだけで十分であり監獄を取り仕切るギャングは発達していない。人種や民族で分離が起きているわけでもない。人口が増えてきて統治が行き届かなくなってきており、その隙間を埋めるように性犯罪者にすら安全を保障するイスラム教が監獄内で増えている。しかし中央集権的な統治をしているわけではない。
ロサンゼルスには巨大な監獄があり、ゲイとトランスジェンダーの囚人は選抜の上でK6Gという住宅区画に住むことになる。それ以外の区画より小さいことから統治は良好であり、刑務官との距離も近い。囚人からハツカネズミと呼ばれる代表が選ばれ共同統治の格好になっている。擬似家族を形成する者もいる。同じ苦難を経験することから互いの距離は近くまた常習犯も多いので囚人個人の評判は保たれる。監獄内ギャングに秩序の形成を頼る必要はないのでそのような団体は見当たらない。その他の区域より安全であると回答する人は多い。しかし実際には痴情のもつれからか摩擦はしばしば発生している。とはいえギャングが形成されるほどではない。
監獄研究の多くはある監獄の特殊性に焦点を当てるが比較制度分析をして違いがどのように生まれるか調べても有意義だ。本書では監獄の統治の質を政府がどう決めているかや共同統治と自治の差がどう生じるかや規模や地域がどう政治的に決まるかの分析は外した。監獄比較から5点がわかる。まず、自律は人口が小さく評判が機能する場合に生じるということ。次に、自治には必ずしも政府の影が必要ないこと。そして、社会的距離がどのような組織が形成されるかについて影響すること。また、人口は民族が重要かどうかに効いてくるということ; 受刑者が増えすぎた結果、民族ごとに分離が起きたのがカリフォルニアの例だ。最後に、共同責任システムは個人の権利に関係するということ。さらに調べどのような点が他に関連するか調べるといいだろう。

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・日本はどの事例に当たるんだろう?
posted by Char-Freadman at 00:39| 北京 | Comment(0) | ぶっくれびゅー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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