2022年03月09日

遺伝というくじについて

遺伝学の知識は決して社会変化を妨げるものではないと主張する本が出ている。

The Genetic Lottery, Kathryn Paige Harden
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ゲノムワイド関連分析(GWAS)が何をやっているのかを簡潔に説明してくれるし、反実仮想を重視する現代の統計学の入門にもなるし、遺伝にまつわる色々な誤解を解いてくれるとてもお得な本だ。

米国で高卒者と大卒者の生活の差は非常に大きい。前者は低賃金で未婚で鬱で幸福度が低い。また貧者は貧者と結婚する。この社会格差は環境からだけでなく遺伝からも来るのだ。リベラルは遺伝学の研究に疑問符をつける傾向がある。優生学という悲しい歴史はあるが、現状では多くの白人優越主義者が喜んで遺伝学の研究を引用する傾向があり、これは是正すべき状況。平等な社会づくりのためには正しい知識が必要である。

赤ん坊は遺伝子を男から半分女から半分受け継ぐ。これはものすごい組み合わせの中から一つだけ選ばれているくじのようなものだ。人の性格や寿命や知能といった表現系に関係する遺伝子は単一ではなく複数ある。人は遺伝だけでなく環境や文化によっても違う。これを集団階層化といい、たとえばアジア人はALDH2遺伝子を持ち箸を使うが前者が後者の原因となっているわけではない。遺伝の影響を考えるなら兄弟を比べ条件を揃えるべきである。教育の積みやすさという点について多因子遺伝指数を構築すると、ある研究ではこれは富に影響することがわかった。集団階層化の影響を外すため兄弟間で比較するより最新の研究によってもこの指数と富との関係は見られた。

DNAは料理のレシピにたとえるといい。材料は確かに美味しさに影響するが、レストランの良さは店内の雰囲気や一緒に行く友人の機嫌に左右されるだろう。遺伝子は遺伝病に関わる致命的な因子もあればもっと影響が微々たるものまである。旧来の研究では、生物学の理論から予測を立てて比較的少ない人数についてどの遺伝的要因が重要かを調べていた。しかし5HTTLRと鬱の例が示すように、実際には全く関係がないにもかかわらず何年も誤解されているということが生じるのがこのやり方の欠点だ。この失敗は、レストランの成功を決めるのは一つの材料ではないのと同じように、一つの遺伝子が鬱の傾向を決めているわけではないことからきている。複数の因子がある場合どれが有効なのか把握するには極めて多くの人について調べる必要がある。レストランの評判としてYelpを利用するのと同じように遺伝学でも何を測定するか決める必要がある。良し悪しを決めているわけではない。ゲノムワイド関連分析(GWAS)ではゲノムの塩基配列が一つだけ他の塩基に変わっているSNPに着目する。何百万ものSNPを身長や体重や教育水準などの表現形と関連づけていく。黒胡椒があれば塩も使うだろうという予測が立つのと同じように、あるSNPが測定されたらいくつかの他の遺伝的変異が伴っている。減数分裂で組み換えが起きるときに近くにある遺伝子はセットになりやすい。この連関を連鎖不平衡(LD)と呼ぶ。このためあるSNPが教育水準に関わるとわかったとしても、そのSNP自体なのかそれともそれに伴う因子が関係しているのか判断はできない。そして測定したい変数について関わるSNPを全て加えていって指数にしたものが多遺伝子指数となる。教育についてのこの指数が最も低いものが大学を卒業する率は11%であり、最も高いものが大学を卒業する率は55%となる。教育水準のばらつきのうち10-15%ほどを説明することになる。教育というのは複雑な要因があるので完全な予測ができるほど決定的ではないが、無視できないほど大きい影響はあるのだ。

親の親の親の…と辿るのは血統的祖先である。「全」人類の共通の祖先と見られる人物は直近では紀元前1500年前ごろに生きていたとみられている。そしてこれと異なる概念が遺伝的祖先である。性染色体を別にすると、父親から受け取るのは22本の染色体だ。そして父親は精子を作る減数分裂のときにその両親から受け継いだ染色体を平均して33本組み換えている。なので受け継いだ22本の染色体は55もの成分からなり、そのどれもが父系の祖父母にたどることができる。このようにして染色体の成分を辿ると極めて多くの祖先がいることになるのだ。数千年たどれば共通の祖先がいるのに、違う場所に暮らす人類を比べると遺伝的にとても古い差が見られるのはこのため。血統的祖先のほとんどは近くに住み交配を繰り返すが、そのほとんどはDNAを現在の人間には残していないからだ。祖先というのはこのように経過に関する概念であるが人種はパターンについての概念であり、地理的または社会的に構築される集団に人を所属させる。遺伝子がある集団ではあまり見られないが別の集団ではしばしば見られるということはよくある。またLDのパターンも人口間では異なる。そのためGWASの結果が全部の集団について同じであると考えることはできない。この研究は欧州の集団に偏っている。白人という集団内で個人間の差をある遺伝子が生むなら白人と黒人の差も遺伝的に生まれると考えるのは生態学的誤謬を起こすことになる。外国生まれの人は文盲になりやすいが、外国生まれの率が高いほどある州の文盲率は低くなる。この逆転は外国人は文盲率の低いところにやってくることから生じる。州の違いは相関を考えるために見ていた変数以外にあるのだ。このため現状のデータからは白人と黒人の差に遺伝が絡んでいると主張することはできない。遺伝学でどのような発見があっても社会を平等にしようという責任からは逃れられない。

社会科学や医学でXがYの原因であると呼ぶのは、Xを受けたときと受けてないときとでYになる確率が変わってくる場合である。最善のやり方は人をランダムにXか非Xに割り振りその平均の差を見ることだ。ここで、どんなメカニズムでその原因が結果を起こしているかは問わない。また、その因果性は確率的なものであり決定論的なものでもない。そしてその原因が通時的空間的に等しいとは限らない。

どの遺伝子が継承されるかはランダムに生じるので、遺伝子型が違えば違う人生になるのかという問いについて上記の意味で遺伝が原因であることを示せる。ばらつきがどれだけ遺伝要因で説明できるかを遺伝率と呼ぶと、背の高さは80%ほどとなる。遺伝率が高いからといって不平等が世代ごとに増していくわけではない。一卵性双生児は二卵性双生児と比べると、性格・認知能力・教育・雇用・健康・精神的問題・人間関係という全ての側面でより似通っている。双子研究はどの遺伝子が関係しているかまでは把握できず、またGWASは別の家族の人たちを比べるため環境要因の影響を拾う危険性がある。このため三つの比較方法で遺伝の影響が調べられている。まずは兄弟を比較するもの。そして養子と実子を比較するもの。最後に、両親と子の三人を利用するもの。親にとって遺伝子は子どもに受け継がれたものとそうでないものとに分かれるが、前者が後者よりどれだけ強く子の結果に影響しているか測ろうとするのがこれだ。これら三つ全てで、遺伝の影響があることが判明している。

メカニズムの解明も少しづつ進んでいる。遺伝子の影響は脳に起きる。そして2歳にもなると認知能力について影響が出始める。基本的な認知能力の遺伝率は100%である。我慢強さや対人関係など非認知的能力にも遺伝の影響がある。歳を重ねるにつれて遺伝の影響は大きくなる。これは、知性や好奇心ややる気や自律など社会環境との関わり方について遺伝が影響してくるから。初期に優位だと両親や教育者からより刺激が与えられより成長することになるのだ。

近眼は眼鏡で矯正できるのと同様、社会的介入により遺伝の影響を変化させることは可能だ。東独統合後や女性の権利が増してからは多遺伝子指数はより教育水準を説明できるようになる。これは選択や競争の機会が増すほど遺伝率が高まる例だ。義務教育を伸ばすと遺伝的に肥満の可能性が高い人が肥満になる率が下がったり、青少年に注意を促す方針がアルコール依存性になる可能性の高い人をそこから防いだり、進学校は遺伝的に数学に弱い人も落第させなかったりする。たばこ税はタバコの消費は減らすが遺伝的にリスクの高い人はより苦しむというマタイ効果(富めるものはますます富み貧しいものはますます貧しくなる)をもたらす。生物学的な影響があるから社会変化ができないわけではない。

善意で問題は解決しない。大量の時間と費用をかける前に正しく分析する必要がある。初の性交が早いほど精神に病が見られるという傾向があったとしても、因果関係ではない可能性がある。実際、初の性交の年齢がばらばらな双生児を比較するとこのような傾向は見られない。人間は環境と遺伝の両方の影響を受けるが、遺伝学的知識を踏まえることで環境の影響について正しく測定することができる。高い多遺伝子指数を持つ低い社会経済的家庭に生まれた子は平均して、低い多遺伝子指数を持つ高い社会経済的家庭に生まれた子よりも上手くいっていないことがわかっている。また、遺伝子には親から子どもへ受け継がれるものとそうでないものとがある。後者も子どもに影響しているとしたらそれは環境を通じてということになる。身長や体重については影響しないが教育については影響があることがわかっている。このように環境の影響を測ることができる。

犯罪に走る傾向もまた遺伝の影響は大きい。善行については遺伝的な説明が受け入れられる一方で、悪事を行う人について遺伝的な説明がされても、責任が軽くなるわけではないと一般には考えられている。自由意志を考える上で双生児研究は参考になるかもしれない。環境によっても遺伝によっても説明されない差異は多くの点で少ない。それ以外にも振る舞えたはずなのにそうしなかったという個人の責任を問える領域は少ないのだ。右派と左派は人生が運か選択のどちらで決まるかには同意しないが、どちらも不運により生まれる不公平には反対である。遺伝もまた運であると捉えるようになれば再分配への支持が高まるだろう。

IQは標準化した問題を全ての子どもに与えることで、発達が遅れているかどうかを示す有用な情報として始まった。しかしその後高い知能は高い倫理性を有すると誤って考えられるようになってしまった。しかし上下関係があると捉えなくてもいいはずだ。高身長や耳の聞こえない人や自閉症の人には遺伝的影響があるが、それらのコミュニティは自分たちに尊厳があると主張している。どんな遺伝子を受け継いだとしても社会経済生活に完全に参加できるようにすればいいのだ。

優生学に対抗して社会を作るには以下の点に気をつけるべき。遺伝学の知識を用いて、時間や予算や才能を無駄な政策から避けること。人を分類するのをやめ、機会を改善すること。たとえば、同じような多遺伝子指数を持つ子どもが学校によって違う成績になっていれば、悪い成績の学校は改善すべきだろう。保険や教育や不動産や金融といった制度から排除するのではなく誰もがアクセスできること。運がいいことと善行をしていることを混同しないこと。そして、遺伝くじという点で最も不幸な人を改善するために社会を構築することだ。

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・やあああああああああっっっっっと遺伝学が何やってるのかわかった〜〜〜〜!!!既存のデータだと白人と黒人を比較するのは生態学的誤謬に当たるというのが特に勉強になった。遺伝的祖先は特定の地理に固有のもの。地理によって有効な生存戦略と能力が違ってもおかしな話じゃないと思うので、今後の研究を待ちたい。
・案の定ハーンスタイン&マレーのベルカーブ叩かれてるんだけど、言うほど叩くべき本か?とは思う。今のデータや洗練された統計手法からすると雑だけど問題自体は提起しても良かったのでは。
・耳の聞こえない人のうち、同じように耳が聞こえないような子どもを欲しがり技術を利用する人もいるというのは驚きだった。
・遺伝は運!だからハズレを引いたやつを重視して社会を改善しようというのはあんまり頷けず。ばらつきでかいやん…?
posted by Char-Freadman at 00:01| 北京 | Comment(0) | ぶっくれびゅー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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