“The Journey of Humanity”, Oded Galor
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人類の脳は他のどの動物より大きく、この器官はエネルギーを大量に消費するし大きすぎて誕生後に育てる必要があるという欠陥がある。食料を見つけたり戦略を組むのに適していたという生態的仮説と、協力するのに適していたという社会仮説と、学習に適しているという文化仮説とが提唱されている。また大きな脳を好んだかもしれないという性選択の可能性もある。アフリカから出て非常に遅い技術的また社会的な変化ののち、新石器時代には家畜化と栽培化という革命が起きた。定住していた集団に農業は広まり、文化に合わせて乳糖耐性やマラリア耐性などの生物的な適応も起きた。
マルサスの貧困の罠の要素は二つ。まず、農業や狩猟採集生産が上昇しても栄養状態の向上により子どもの死亡率が低下するためより子孫が増えること。そして限定された生活空間で人口増加が起きると生活環境が悪化すること。新石器革命の影響下にあった地域はそうでない地域と比較すると人口密度が増加している。黒死病が人口を減らしたときは賃金が増加したが結局は人口が伸び生活の質は落ちた。とうもろこしを導入した中国の地域とそうでない地域とを差の差の分析で比べると前者では人口が伸びている。人類はずっと生存にぎりぎりの水準で暮らしていた。
人類の経済成長を説明したいなら停滞期と発展期を区別するのではなく包括するような説明枠組みを提供すべきで、統一成長理論がそれだ。考慮すべきなのは2点。まずは人口の大きさで、大きいほど技術革新が起きる。たとえば土壌が良く人口が伸びやすい地域は新石器時代に実際に革新が多い。この効果は活版印刷を受けて拡大した。人口が多いと死亡による主要技術の喪失を防げる。2点目は人口構成だ。乳糖耐性や肌の色など地域による適応がある。また成長を促進するような文化も重要。人的投資をするような部族は長期的に多くの子孫を残すが、ケベックはその例。人類の停滞期でも量より質という繁殖戦略を取る人たちが増えていったかもしれない。
産業革命期に人類の生活は一変し、特に教育の役割が変化した。それまでは文化宗教または軍事目的で少数に対してのみ行われていた。産業期になると労働には技能が必要となり、生産性を上げるために教育が必要となった。蒸気機関が初めて導入された地域からの距離を技術進歩の操作変数にして調べると、技術進歩は教育を高めるとわかる。資本家と労働者の階級闘争の可能性が叫ばれたが、実際には人的資本は資本家階級にとって重要であり、公教育を行うよう政府に求めるようになった。一方地主は教育を嫌った。土地が不平等に分配されているところでは教育水準が低い。機械化と教育への需要の高まりにより児童労働は消滅した。
工業革命は人的資本の利益を増やし、賃金の男女差を縮小させ、児童労働を減らし、地方から都市への移住を増やした。そしてこれらの影響で人口転換が生じた。
20世紀には全ての大陸で経済成長が起きるようになった。先進国では工業都市が衰退しており、人的資本の重要性がますます増した。どの地域でも教育水準が上がり人口成長率が落ちている。気候変動のリスクはあるが、人口転換と技術革新が滅亡を回避するための鍵だ。
国を比較すると貧富の差が大きい。貧しい国が先進国へと収斂して成長するわけではない。国際貿易で宗主国の工業化と教育水準は上昇したが、植民地ではその逆が起きた。人口動態への影響も逆だった。しかし比較優位の違いは植民地時代以前からあった。どこから生じたか理解するためには、技術や教育といった近似要因と制度や文化や地理や人口の多様性といった究極要因を分ける必要がある。
国の制度の違いは経済成長の違いを生む。地理的特性や疾病環境や人口密度によって、ある場所では収奪的な制度となり違う場所では包括的な制度が形成された。疾病環境は現在でも変わっておらずまた初期の植民者も人的資本を持っていたため、制度の影響を定量的に把握するのは困難。植民地とならなかった場所の制度の期限を探るには文化や社会的要因を見る必要があるし、国内での差を考察する必要もある。
人類のほとんどの社会では自分の文化に盲目的に従ってきた。これは文化が環境に適して人の生存を助けるように進化した結果だった。しかし啓蒙時代に西洋は変化し、科学技術や制度の発展がより良い世界を作ると確信する「成長の文化」となったのだ。そして個人主義や世俗主義といった価値観も取り入れた。
地理は様々な方向から発展に影響する。ツェツェ蠅の発生地では家畜が生存できず発展が遅れた。化石燃料や鉱物資源の有無にも関わる。天気ではなく河川に水を頼る地域では権力の集中が起きる。あるいは、小さい河川しかないところでは大帝国の形成が阻まれ、競争しあう小国が乱立する。集約的農業に向いた地域では収奪的な制度が生じる。穀物の実りが豊かな地域では未来志向の心構えが生じる。鋤を牛馬に引かせるような農業が発達した場所では男女の役割分担が厳格化された。気候変動の大きなところでは損失中立的、小さなところでは損失回避的な考え方になる。男女の分業が厳格なところでは言語にジェンダー要素を含むようになり、共同体間の取引が盛んなところでは敬語が発展し関係を円滑化させ、豊穣な地域では未来形が生まれた。
新石器革命がユーラシアで起きたのは家畜がいたのと東西に長いため植物や動物を広めることができたので人口が増えやすく、技術革新が進んだからだ。疫病に早くから晒されたため免疫もついた。穀物は収税しやすく、より階層的な社会を構築することに結びついた。しかし都市と人的資本が重要になるにつれ、農業に比較優位を持つそれらの地域は次第に遅れをとるようになった。数千年という規模でみると、文化や制度よりも地理が究極的な要因である。
社会の多様性が高すぎるとお互いへの信頼が低くなり、低すぎると革新が生まれにくくなる。ほどほどが丁度良い。起源から離れた集団の多様性は次第に低くなるという創始者効果を利用して人類の集団の多様性を測ることにする。すなわち、東アフリカから祖先がどれだけ離れているかという指標だ。一人当たりGDPや人口密度や都市化率など繁栄を表す指標は全てこの多様性指標がほどほどだと最高になっている。革新が重要となってきた現代では昔よりも多様な方がいいだろう。高すぎる社会は信頼や寛容を生むような政策を、低すぎる社会は文化的多様性を増やすようにするといい。
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・経済発展がどう起きるかについての文献群のとてもいいまとめ!因果推論のいろんな手法を駆使して歴史を説明する最近の流れが特によく載っている。
サックス「地理が重要。マラリアとかやばい。だから貧困国にお金を送ってビッグプッシュしよう!」
AJR「いや制度っすよ。制度がダメなところに送っても意味ないっす」
ガロー「制度の生まれる要因として地理と人間の多様性があるのでは」
という流れのように記憶している。
・多様性は現在だとアメリカぐらいの水準が良さそうとか載ってるけど、外れ値のような気がしてならない。。。
・多様性の欠点をどう抑えるかについてもっと紙面割いて欲しかったな〜。