Spin Dictators, Sergei Guriev and Daniel Treisman
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20世紀の古典的な独裁は反対派を抑圧し、全ての情報のやり取りを統制し、批判を封じ、思想を課し、民主主義という理想を攻撃し、人や情報が国際的に行き来するのを妨害していた。恐怖による統治という共通点があった。これに対しベネズエラやシンガポールといった現在の独裁では、メディアを操作し政権に人気があるように見せかけ民主主義かのように思わせ、あからさまな暴力は控え、世界に対しては開かれている。一部の知識層は誤魔化しを見破っているが大衆はそうではなく、反対活動は支持されない。非民主的で選挙があり野党がおり批判的なメディアがあり年に平均して10人未満の政治的殺人が起き1000人未満の政治犯がいるものをスピン独裁とよび、非民主的で批判的なメディアがあり年に平均して10人以上の政治的殺人が起き1000人以上の政治犯がいるものを恐怖独裁とよぶと、70年代では後者が6割だったが減り続けている。前者は13%だったのが53%に増えた。これは情報技術が伸びたからでも人が豊かになったからでもない。民主主義に見せかける必要はないはずだし豊かな人の方が反抗的である。機能不全な民主主義国家との境界はぼやけてはいるが、それでも民主主義には劣化を防ぐ制度も人民もいる。情報のある者たちの行動が必要である。
20世紀の独裁者は社会変革や洗脳や資源獲得や体制維持のために処刑や自白の強要などの暴力を用いた。脅迫するため、暴力は公開され目に入るという特徴があった。シンガポールのリークアンユーはよりソフトな路線を開拓し、禁止するのではなく制限するという方針を採った。政敵は議会から追放されるのではなく、経済的に破産させられた。人目につかないのがその特徴だ。政治的殺人や収監数は世界のどの地域を見ても減っている。暴力は目につかなくなっているのは世界的な潮流である。
かつてのプロパガンダは国民を従わせるために個人崇拝や思想を伴った。従順さを示すために馬鹿げた儀式に参加させられた。今日の特徴は以下のように変化している。恐怖ではなく政府の有能さを示している。そして思想ではなく幅広い魅力があることを強調する。個人崇拝というより独裁者をセレブとして扱う。メディアを独占するのではなく、独立メディアを利用したり情報源を隠すことで信頼性を保つようにしている。娯楽番組を利用する。事実の解釈を操作する。演説を調べると、実際にスピン独裁者のそれは経済的にうまくいっていることを強調し暴力は少ないことがわかる。
独裁の恐怖政治では、検閲は内容について徹底的だった。またその存在は公開されていた。そして暴力的になされた。その目的は権力の誇示と服従の強制だった。これに対しペルーのフジモリなどのスピン独裁者の手口では、検閲は部分的である。独立メディアの存在は許すため自由な見せかけがあり信頼性を担保しようとしている。また目につかないように行われる。そして暴力は用いられない。一方で、反対派は名誉毀損で訴えられたりなどの嫌がらせを受けたり罰金を支払わせられたりする。また契約が不自然に打ち切られたり技術的な名目のもと切断されたりする。そして大量の無関係な情報が流され人々の注意が逸される。データを見ると、スピン独裁のもとでは、ジャーナリストの殺害は稀であり、リスト実験で人気の高さが示される。メディアが制限されているほど人気は高くなる。グーグル削除依頼を政府の検閲とすると、ネットの検閲が激しいほどその政治家への賛同は増える。ネットやテレビなど代替メディアがあると政治家の人気は下がる。非民主的国家では教育があるほど政治家に批判的となり、民主的国家ではその逆。
独裁の恐怖政治でも選挙は行われたが9割以上の得票率となり、プロパガンダの一環であり権力を譲る姿勢は見られなかった。一方でスピン独裁では民主的であるかのように見せかけられ、民主化に向けて準備されているかのように宣伝される。権利は認められており選挙は行われ反対派の出てくる余地もあるが9割ではないものの、メディアの操作や党派的選挙区割りや不正選挙により独裁者が大勝する。実際に人気があるのに不正をするのは、支持者に対して交渉力を得たり、正しい候補が勝ったと信じさせるため。不完全な民主主義国と同じくこのような国でも人は選挙について懐疑的になっている。
対外関係は独裁者にとり長短がある。貿易で儲けたり出稼ぎで外貨を手に入れたりできるが、秘密が漏れたり敵対的な思想が入ることにもなる。恐怖政治では国境を閉ざすことがしばしばあった。例外としては、政敵を追い出したり、プロパガンダのために短期の観光客を送ったり、短期の労働ビザを発給したり、人を売り払ったりする場合があった。また宣伝のために知識人を受け入れることもあった。スピン独裁はもっと開かれている。西洋のメディアは知識層だけに読まれるよう制限がかけられ、対外紛争を起こすのは稀であり、自分の都合の良いように国際関係を利用するのが特徴。西洋の政治家から賛辞を得たりサミットを開いたり著名人と付き合うことで外国からの賞賛を得ている。民主主義の皮をかぶることで海外援助を受け取る。反対派を逮捕するために非政治的な理由をでっち上げて国際的に指名手配している。西洋の制度に参加はするが、利益を得て中から腐らせていく。腐敗政治の技術を西洋から学んでいる。国際世論を形成するために独自メディアを立ち上げ偏向した解釈を報道している。 またSNSを操作する。そしてシンクタンクに投資している。西洋のエリートを味方に引き入れることもある。
この変化の要因は国内的なものと国際的なものとがある。第一の要因はポスト工業化だ。農村から人を追い出し工場で働かせるだけでかつては経済発展できたが、サービス産業が増加しアイデアが重要となるとそれではうまくいかなくなった。そして、産業に高等教育が必要となり、政府に対し批判的な人も増えた。また価値観の変化も生じ、生存ではなく自己表現に重きを置くようになった。さらに、インターネットという多対多の技術が生じ検閲することが困難になった。第二の要因は経済と情報のグローバル化だ。貿易と金融は国際化し、メディアも国際化した。第三の要因はリベラルな国際秩序の形成である。人権運動が活発化した。また国際法の支配がなされるようになり、人権侵害について制裁が課されるようになった。
封じ込めも統合もこれらのスピン独裁者には相応しくない。締め付けると恐怖政治に後戻りするかもしれないし、統合するだけでは西洋のシステムの隙を突いてくる。そうではなく「対抗的交戦」をすべきであり、国際関係を自由の増加に向けて利用するという方針が適している。まず、独裁者の行動を監視すること。次に、困難な環境にあってもスピン独裁国家の現代化を歓迎すること。第三に、民主国家の秩序を正すこと。西洋内部から独裁者の手助けをする者を根絶すべき。また、リベラルな国際的秩序を改革し防衛すること。独裁者が加わって内部から腐らせることを防止せねばならない。最後に、暴力ではなく民主的な手段により民主主義の芽生えを手助けすること。自由な民主主義というアイデアは最も強力なものなのだ。
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・著者たちの論文だと検閲の効果は海外ニュースの需要自体を減らしてしまうという驚愕の結果が出ているけどなぜかそれについての直接的な言及がない!おもろいんだから紹介してくれてもよかったんだぜ。
・ロシアは例外的に好戦的であり中国は昔ながらの恐怖政治とスピン独裁との折衷と位置付けられていて、思考枠組としてずいぶん限定的になるけどいいの?とは思わないでもない。
・シンクタンクに浸透していくなどの工作って日本でもやられてるのかな?露や中の手先みたいな言論たまに見かけるけどそういうことなのだろうか。