2012年10月16日

ユダヤ人の比較優位

学術に従事するようになってまず驚くのは、ユダヤ人の多さだろう。アインシュタインもノイマンも、経済学ならサミュエルソンもフリードマンも、みんなユダヤ系だ。

でも、どうして多くのユダヤ人が高い技能を必要とする職に従事するようになったのだろう?迫害でそのような職しか就けなくなったという説も、知識や技能などの支配者が搾取できないものに特化するようになったという説も、史実には合致しない。本書はその謎に迫っていく。

"The Chosen Few: How Education Shaped Jewish History, 70-1492.", by M. Botticini and Z. Eckstein.



1章はユダヤ人の歴史を概観する。
紀元後からムハンマドの時代まで、400万人ほどいたその人口は100万人ほどへ激減した。また、中心となったのはイスラエルの地からメソポタミアへと移動した。そして、非ユダヤ人と同じく大半の人は農業に従事していたことが示される。
800年から1200年まではユダヤ文化が花開いた。750年から900年までの間に、メソポタミアとペルシャのユダヤ人は唯一農業を離れた民族となった。そして、ムスリム国家内で移住をすることとなった。また、人口も上昇することになった。
モンゴルの侵略以降人口は減った。13世紀末から15世紀にかけ、大半のユダヤ人はヨーロッパに住んだ。イタリアやバルカン半島にすんだ人は貿易や商業に従事し、英独仏に住んだ人は金融に特化した。中世にあっては多くの国で追放の憂き目に遭ってしまった。
2章は通説に批判を加えていく。就業規制は、ユダヤ人が農業を離れた「後に」できた。差別やら課税やらがは他の民族にもあったが技能に投資したのはユダヤ人のみだった。アイデンティティを保つために少数派になったわけでもない、なぜなら宗教的に少数派になったときのユダヤ人は他の民族と同じように農業を営んでいたからだ。規制やら差別やらという外生的な要因による説明も、教義やアイデンティティといった内生的な要因による説明も、なぜユダヤ人が農業を離れて離散して住む人々になったかの理由には不十分。
3章はユダヤ教の成り立ちについて。揺籃期は複数の宗派があり、それぞれ競争していたとみなせる。なかでもサドカイ派とファリサイ派が有力であった。前者は神殿での儀式を重視し、一握りのエリート僧が力を握っていた。いっぽう後者はトーラを重視し、子どもに立法を読み聞かせることができるのは信者の最たる義務だと考えた。子どもが教育を受けることを課すのは、サマリア人やキリスト教徒など他の宗派にはみられない特徴となった。ローマとの抗争で第二神殿が73年に崩壊するとサドカイ派は力を失い、かわってファリサイ派がユダヤ教の中心となった。たとえばユダ・ハナシは識字能力のない人をユダヤの共同体から追放することにした。
4章は著者の基本理論。宗教心が強く、子どもを教育する余裕があるほどユダヤ教になりやすい。
5章は200-650年について。農業社会では教育の恩恵はないため、次第に改宗する人が増えてユダヤ人は減っていった。
6章は750-1150年について。識字能力に関して比較優位を持ったユダヤ人は、イスラム帝国のもと都市化が進むなか商業で頭角を現した。定住するものが増え、強力なネットワークを利用できることからユダヤ教に生まれついた人は改宗する動機を持たなくなっていった。
7章は800-1250年のユダヤ人の移住について。エジプトとマグレブから、イベリア半島やフランス・ドイツなど広範な移動をみた。生物学者によると、現代のユダヤ人は遠く離れていても近しい遺伝情報を持つとのこと。これはヨーロッパのユダヤ人が同じ起源を持つことからくる。各都市で営業できる商工業は限られていたため、次第に移住していったのだ。
8章は1000-1500年について。中世の金融業は、遠隔地間の取引ができ情報の獲得も可能とするようなネットワークを必要とした。また信用取引きには帳簿をつける必要があり、識字能力も重要だった。ユダヤ人の資産は天候や外敵や支配者から比較的影響を受けず、流動的だった。また強力なネットワークを持っていた。ユダヤ人の主な職は金貸であり、金融取引を介してユダヤ人が土地を獲得しないようにするための規制があった。独占ではなく、貧者のみならず政府とも取引していた。ユダヤ人が金融に特化したのはギルドが力を握ったりキリスト教やイスラム教が高利貸しを禁じる以前であり、通説とは異なる。また「迫害されても構わないように持ち運び可能で収奪されない人的資本に投資した」という仮説も、ユダヤの教義で子どもの教育が重視されるようになったのはユダヤ人の大移動や迫害の前であるという事実と反する。資本・ネットワーク・識字と計算能力・契約を履行させる制度といった点が比較優位となり、金融業に特化したとしている。
9章はモンゴルの影響について。イル・ハン国は遊牧国でユダヤ人にとっては住みにくいものとなり、教育が負担以外の何者でもなくなったため、多くの信者はイスラムに改宗して課税を回避するようになった。
10章はそれまでのまとめと、1492年から現代について。職業構造が長続きしたことや、移住パターンにはまだまだ謎が多い。これから調べるとのこと。

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・教義が影響力をもつこともある;それを信奉することが政治的に有利な場合だ、という理解でいいのかな。
・経済学もたくさんユダヤ人いてびびる。たとえば白人のクラスメイトはほとんどユダヤ。数学使わなくていいような科目だったらユダヤ比率下がりそうな気がする。(あくまで推測です!)
・中国の客家も似たような感じかなー。
・このプリンストンの経済史シリーズ(http://press.princeton.edu/catalogs/series/pehww.html)、どれも読んでて面白い。邦訳出ないかな〜
posted by Char-Freadman at 15:29| 北京 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月13日

情報の本質は共有にあり

ネットユーザなら誰でも「情報はタダである(べき)」という標語を目にしたことがあろう。確かに情報をばらまくのにかかるコストは落ちた。けれど、たくさんの人が知っている情報を知りたくもなる。世界は情報を「共有する」方向にあるーーそう主張するのがこちらの本だ。

"Information wants to be shared", by Joshua Gans

http://www.amazon.com/Information-Wants-Be-Shared-ebook/dp/B009G1WCGO/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1350085119&sr=8-1&keywords=information+wants+to+be+shared

向けることの出来る注意の量は限られる。情報は無料であるだけではダメで、整理されることでその情報を一番評価する人に届けられるのだ。情報源が信頼できる友人であったり、定評のある企業であったりするほど希少な注意が向けられるというもの。技術は情報を共有しやすくしている。
本が高価だった時代、図書館で共有するのが伝統だった。でも本棚の肥やしになってしまうものは多く、重要なのは実際に読ませること;そのためには多くの人が本の内容を語ってくれるといい。共有を許したり、"図書館"への会員費を払わせるようにするとよいのかもしれない。旧来の出版界はこれからも評判として使えるだろう。
ニュースもまた共有されるほど価値が高まるようなビジネスモデルになるとよい。購読ではなく宣伝から利益を得るという形は崩れ去りつつある。従来、オンラインの広告は適切な顧客に届かなかった。しかし顧客のことをより知ることができれば効果的な広告が打てる。

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(感想)
・なんか気取った言い方で文意が掴み辛かった。うーん。

・この本は版元のHBRのホームページ(http://hbr.org/)でとあるコードを打ち込めば、$0.99で買えます。友人と共有して欲しいとのこと。いい工夫!

・「情報は共有する人が多ければ多いほど価値が上がる」ことをさして「競合性」と呼んでるんだけど、それ「ネットワーク外部性」じゃないのかしら。本の結論は変わらないけど、、、

・もちろん当ブログ記事は全部共有フリーです〜
posted by Char-Freadman at 08:42| 北京 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月10日

真似と革新との共存

知財権を巡る議論はかまびすしい。9月にはAppleとサムスンの訴訟合戦があったし、10月1日から違法ダウンロードは刑事罰が課されることとなった。その基本的ロジックは、以下のとおり;

知識は生み出すのは大変だけど、生み出されたものを手に入れるのはタダでできる。そこでアイデアに権利を与えて他人が勝手に使えないようにして守らねば、

けれど、本当にそうだろうか?ひょっとしたら真似するのが簡単「だからこそ」、業界が活性化するんじゃないかーーそう語る本がこちらだ。

"The Knockoff Economy: How Imitation Sparks Innovation", by Kal Raustiala & Christopher Sprigman



1章はファッションについて。
まずその歴史が概観される。もとは上流階級がオーダーメイドしており、パリが中心だった。そのうち衣服も大量生産の時代に移り、最先端はオーダーメイドの服ではあるものの、利益の中心はアメリカになった。
かつてないほど服飾産業は繁栄しているが、これは知的財産権が守られているからではない。確かに商標権(trademark)は適用され、紛らわしいブランドロゴは規制の対象となる。しかし著作権(copyright)はまず適用されない、なぜなら「実用的なものは複製してかまわない」ことになっているためだ。特許(patent)は真に新しいものにしか認められず、また手間もかかる。このためデザインの真似が蔓延ることとなっている。
ファッションの本質は「他人と区別するシグナルを送ること」にある。このため、デザインは広まりすぎると陳腐化する。コピーがしやすければその盛衰のサイクルが早まることになるのだ。またそれほど流行を追わない消費者にとっても安価に手に入れられ、得となる。複製行為によって何が流行となっているのかがわかるようになり、その商品を買うようになっていく。アイデアが生まれてから広がるまで時間差があるのがキーなのだ。
2章は料理について。まず、外食産業が発展するに至る歴史が概観される。材料や調理過程自体は法的には保護されないが、消費者が他の店と混同しないように、店の内装や外装が似すぎないようには規制されている。一応料理人の間には規範がある; 完全なコピーはしないこと、教わったレシピを他人には教えないこと、誰から学んだか明記することだ。とはいえ料理の完全なるコピーはその性質から不可能で、実際には拘束力はあまりない。それでも外食産業が栄えているのは、コピーが当該料理人の名声を高めるため。料理人同士の評判のみならず一般大衆からの評判も大事なのだ。またコピーは不可能なため、原物と競合するというよりその宣伝となる。
3章はお笑いについて。一行ジョークが主流だったとき、ジョークを真似ることは普通のことだった。しかし産業が発展して、ピン芸人の個性が売りということになると、人のジョークを真似ることは罪だと考えられるようになっていった。とはいえ各種の法でジョークを保護することはできないので、芸人間での規範があるのみとなっている。
4章はフットボール、フォント、ファイナンス、データベースについて。これらの分野ではやはり権利は保護されないものの、業界は繁栄している。技術の進歩に必要とされるのは、先駆者のみならず、改善する人たちだ。フットボールではパスがゲーム自体を複雑化し、追随する監督たちはそれぞれ工夫して戦術を定着させた。フォントでも、新聞やらディスプレイやらに適した字形が生まれていった。インデックスファンドを考案した会社は今でも最大の発行者となっており、先行者利益は十分大きい。データベースの利用を阻むような保護をした欧州ではなく、データの編集方針自体のみを保護した米国にあって、データ産業は発展した。工夫を促すような制度が必要なのだ。コピーしやすいことでコストが下がることがある。
5章はまとめ。流行り廃りを作り「故意に陳腐化させる」ことでiTunesは音楽で利益を生もうとしている。経験自体はコピーできないので、たとえば雰囲気の良いレストランやらライブやらが人気になりつつある。オープンソースの特徴は、他の人が改善しやすくしていること。競争・コピー・繁栄は、共存できるのだ。

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(感想)
・とはいえ「知的財産権が守られている世界」を比べているわけではないのがロジックとしては弱味。
・ファションのサイクルには実に迷惑を被っている; 1~2年保てばいいため、メーカーが財の耐久性を意識しなくなるからだ。
・漫画やラノベについても似たような分析するならこんな感じかな。
(i)主人公にも流行り廃りがある。熱血→無気力→難聴系/俺tueeee(イマココ?)
(ii)タイトルでどんな内容なのか読者が予想しやすくさせている。VIPのスレタイみたいなのなら非リアからみた日常風景、『○○○○!』とかならキャッキャウフフ、とか。コピーがオリジナルの良い宣伝媒体になってると言えそう。(帯にコピー元から推薦載ってたりするし!)
※俺妹もはがないもはまちも好きです、念のため。
(iii)消費者により盗作検証がなされる。(好きな作品名)+パクりでググると気分を害すること請け合いである。むしろ漫画創作を害してるよね。
(iv)二次創作が盛ん。有明の熱気といったら・・・。法的にはグレーとよく言われますね。
(v)ミステリーものはピン芸人やマジックと同じく、トリックを真似るのは御法度となってそう。ミステリーを漫画化すること自体に価値があるから「以下の作品を参考にさせていただきました」と載せていれば金田一少年は叩かれなかったのかも。
・この本の著作権自体はどうなってるのか気になるところw
posted by Char-Freadman at 04:36| 北京 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月11日

繁栄へのキーは信頼

吸血経済学者、オキシトシンの威力を語る。

"The Moral Molecule: The Source of Love and Prosperity", by Paul Zak



1章はトラストゲームについて。妊娠に関わる女性ホルモンのオキシトシンは、トラストゲームにおいてどれだけ相手を信頼して振る舞うかどうかにも関連する。国富論で自己利益の追求が社会に善をもたらすかもしれないと説いたアダム・スミスは、道徳感情論では共感のもつ重要性を理解していた。一方経済学は彼の後自己利益の追求というモデルを追うことになった。
2章は信頼の進化について。オキシトシンの供給はセロトニンとドーパミンの供給を引き起こす。セロトニンは不安を打ち消し、ドーパミンは目標達成する気分にさせる。オキシトシンを与えられた被験者はトラストゲームでも最後通牒ゲームでも相手を信じてより多くを分配するようになる。
3章は共感について。人間は他者を救う行動を取るが、生理的に何が生じているのか確認するのがこの章の目的。共感は四つの要因からなる; その感情をみなが共有していること、他者の認識、他者へ自己を投影すること、そして適切な行為をするよう自己を律することだ。オキシトシン→共感能力→道徳→信頼→オキシトシンという好循環がみられるようになる。猿にとって性交やハグが共感を楽しむ行為であるのと同様、ヒトは会話(ゴシップ)を楽しむもの。
4章は放蕩児について。信頼と懐疑はともに生存には重要。女は育児の必要から共感・信頼・寛容の能力を、男は狩猟や戦争の必要から懐疑・懲罰・向こう見ず・衝動的になることの能力を高めるようになった; テストステロンはオキシトシンを妨害する。懲罰は社会の連帯を強めるものの、各個人がそれを行うにはコストがともなう。より寛容でないほうが罰するにはよいのだ。
5章は社会から孤立してしまっている人たちについて。オキシトシンの受容体は幼いうちに発達するので、虐待を受けると成人後も共感する能力が低くなってしまう。道徳的に振る舞うとはどんなことかは学習できるけど、実際には共感は覚えていないという道徳的ゾンビになってしまうかもしれない。ストレスは外敵から逃げるにあたりヒトの祖先にとっては大事な能力だったが、心臓への負担を高めることになる。死にやすいのは、マネーゲームに興じ権力闘争に活発に励む人ではなく、責任はあるものの権限の弱い職に就く人なのだ。自閉症の人もオキシトシンの吸引により少しは社交的になる; とはいえ、受容体自体を強化したほうがよい。精神病の人は共感能力には疎く、人をモノのように扱ってしまう。
6章は性と宗教との関わりについて。人間は音楽やクスリ、瞑想などで恍惚状態に入る。この際オキシトシンが放たれており、人間は外の世界へと向かっているのだ。宗教もまたその能力が作り出したものであり、教義や儀式で信者間の共感を高めるいっぽう異教徒への敵愾心も煽ったり、あるいは何か崇高なものがいつも見ているから不道徳なことは出来ないと思わせることで、連帯を強化している。人間の本性は善悪にあるのではなく、適応性にあるのだ; 環境によって敵対するか友好的になるか決めている。
7章は市場と道徳とについて。市場を倫理的に非難する声は史上絶えないけど、自給自足の生活を営む民族のほうが寛容さは低く、むしろ市場に参加することでより道徳的になるのだ。つながりを持つこと、人を信じること、短期的な得よりサービスと質を重視すること、誰もが得をすることなどが市場を道徳的にする条件。
8章は社会での信頼を高めるにはどうしたらいいかを考察する。ボゴタの市長は犯罪解消のために市民間の信頼の醸成を狙った。新しいメディアを活用して新しい知見に繋がろうとすること・多様性を楽しむこと・手続き的公平・教育が繁栄へのキー。

生体反応と心理の関係に興味のある方はどうぞ!

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(感想)
・血液を採取して遠心分離でホルモンの量を計るというその研究スタイルから"Vampire Economist"と呼ばれているようだ。結婚式・ダンスクラブ・軍隊・エヴァンジェリスト・パプアニューギニアの住民など、共感のチャンスさえあればどこへでも駆けつけていた。フットワーク軽いなぁ。というか明らかにその場で異物なのに居心地の悪さ覚えないのかなぁ…w

・どうやら心配すべきなのは外銀やらコンサルやら弁護士事務所やらで激務に励む友人ではなく、的外れな非難を食らう官庁や無茶なノルマを課される金融で働く友人たちのようだ、、、

・オキシトシンを嗅がせると寛容になるということは、「今日決める!」とか思ってる人はオキシトシンを相手に吸入させて拝み倒したらいいのかもしれない^^
…吸入器を手に入れたり薬事法を回避するのはとても大変だけどな!

・性と宗教といったら、日本なら真言立川流!滅びし邪教。想像をかき立てられますよね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E5%B7%9D%E6%B5%81_%28%E5%AF%86%E6%95%99%29
誰か立ち上げてくれたら入団しますよ〜^p^
(性を否定せず大きく人間肯定していて、わりと真面目にいいこと言ってるとは思う)

・「自閉症も改善できるかもしれない」
これちょっと気になる発想。人と交わるのって楽しいことなので、その能力が奪われている状態とみなせば改善すべきかもしれない。でも自閉症もまた個性の一つではあるよね、、、

・ときおり著者の研究歴や黒歴史等を混ぜてくるので、読んでて楽しい軽い文体になっています。そのへんは↑で省いちゃったけど。
posted by Char-Freadman at 17:07| 北京 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月06日

資本主義化した中国

毛沢東死後の中国経済の歩みをまとめた本がこちら。

"How China Became Capitalist", by Ronald Coase & Ning Wang



なんと著者の一人はロナルド・コース、102歳!
1章は毛沢東の政策について。農業の発展を目指した大躍進はむしろ大飢饉を引き起こし、文化大革命では知識人階層や官僚が犠牲となった。毛沢東のもとでは地方分権が進められた。
2章は毛の死後について。華国峰は四人組を逮捕し、イデオロギーから離れた政策を採るようになった。「大後退」と揶揄されたものの、一定の成果が上がった。外交も開始し、ケ小平は各国を視察した。
3章は市場改革について。農地は次第に私有化され、農業が発展した。国有企業が相変わらず非効率な一方で、郷鎮企業も勃興した。労働力は都市に戻った。複数の都市が経済特区として指定され、市場競争が行われるようになり、また外国投資も行われるようになった。国有企業は一定程度のノルマを納めたら市場を利用していいという二重の路線(dual track)のもとで市場に馴れていくことになった。ケ小平は「語るな。やれ。試せ。」という実践的な思考の持ち主であり、毛とは正反対であった。
4章は社会主義化の市場改革について。陳雲は鳥籠理論を提唱した; 経済は鳥であり、政府は鳥籠としてその大きさを変えるとした。国有企業は主要な地位を占め、私企業により補完されるものとみていた。各種銀行が建ち、地方政府は資本の獲得のために競争するようになった。また法の改革も進んだ。
5章は社会主義からの離脱について。学生運動にも温情的であった胡耀邦と趙紫陽が追放された80年代末期は危機であった。ケ小平は南巡講話して改革の遂行を促し、保守派に圧力をかけた。市場以外にも人々の行動を調整する「組織」というメカニズムがあり、それは中国にあっては地方政府だった。各地方で重複するような投資は行われたものの、市場において様々な挑戦がなされるのは普通のことであり、問題視するには当たらないとされた。各地方の競争により海外資本が誘致されるようになった。
6章は資本主義化について。国有企業の再建は進んだものの、コモディティ部門その他ではまだまだ残っている。また大学の自治はなく、アイデアは政府に独占されており、まともな科学者を輩出することがない。これらは大きな弱点となっている。

近年の中国に興味のある人はどうぞ!

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(感想)
・はじめタイトルをみたとき「えー中国が資本主義とか。コースもぼけちゃったか;;」とか思ったけど、人民公社とか毛沢東思想とかが流行ってた頃と比較すれば断然資本主義化してますね。

・華国峰、ケ小平(胡耀邦&趙紫陽)、江沢民と危機がありながらも市場改革が続いて発展したという点は特に面白みはない。でもコースらしく、『市場以外にも人々の行動を調整する「組織」というメカニズムがあり、それは中国にあっては地方政府だった』という点は興味を惹かれた。あと近年の中国の弱点も面白い点かな。

・でも政治家のインセンティブにあんまり注意を払ってない感じなのは残念。
(i)そりゃアイデアが百花繚乱なら経済伸びるだろうけどさー、既存の政治体制を脅かすんだったら妨害されるぜ。政治家の妥協を引きだすような変化を望まないと。
(ii)政治家が経済の発展を望んでいることが前提にされているけど、違うんじゃないかなー。あくまで政権を維持することが政治家の目的。政敵を糾弾するための理由としてイデオロギーが使われているだけ。文革で走資派とされたのは毛の批判者だけど、共産主義者は多いし。毛沢東にとって国民生活とかはどうでもよくて、権力にしがみつくことのみには長けていたとみたほうがしっくりくる。ケ小平も学生運動自体には反対だったわけで、実際何人か六四天安門事件で死んでるしね。語録で何を言っていようと単なるリップサービスで、真に受けるのはバカというもの。彼らが実際に何をやったか見ないと。
(iii)なので「次第に国民生活が豊かになったのはなぜか」を考察するには、「なぜ政治家は国民に力を与えることに妥協するようになったのか」という視点で語って欲しいナァ。

・二重の路線ってよく称賛されるけど、もっと過激に市場開放できてたらどうなってたんでしょうね。とにかく政治家の手から力を奪うのが先決みたいなアドバイスもあるよね。
http://www.voxeu.org/index.php?q=node/7593

・もはや共産主義ではないそうだけど、55年体制下の日本のように発展できるかな〜。民主化しないと成長はどこかで止まるとみるむきもあるけど、どうでしょう。
http://www.huffingtonpost.com/daron-acemoglu/china-superpower_b_1369424.html
posted by Char-Freadman at 08:52| 北京 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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