
Diversity, Violence, and Recognition: How recognizing ethnic identity promotes peace (English Edition) - King, Elisabeth, Samii, Cyrus
国内に平和を構築するためには二つの方針がありうる。まずは、統一した国民を形成し民族というくくりを越えようとするもの。次に、公的制度について民族による数量割り当てを行うというもの。本書は後者の方針を民族承認(ethnic recognition)と呼び、どのような条件のもとでそれがうまく働くかを調べていく。制度が重要という点については社会科学者には合意があるが、国内の民族ごとの権力構成がどうなっているかが重要という点は見過ごされてきた。民族承認には相互不信を薄めるという保証効果と、民族に沿って政治的に動員しやすくなるという動員効果とがあり、多国間比較やブルンジ・ルワンダ・エチオピアの事例研究でそれがどう効くかをみていく。
覇権が崩れるときにだけ民族承認が得られるという説明は不十分、なぜなら黒人やインドの少数派へのアファーマティブアクションは多数派優位のうちに出来上がったからだ。また国際協調で真似しているという説明も不十分、なぜなら地域ごとに方針にばらつきがあるから。ここで人口の多数派を占める集団が国を指導していたら多数派支配、少数派を占める集団が国を率いていたら少数派支配と呼ぼう。民族承認の保証効果は以下だ。民族としての承認自体が心理的利益となること、民族集団に沿ってしっかり資源が透明化されて配分されること、そして法的基礎として様々な政策に使えることだ。反対集団の不信を拭うことに役立つ。ただし関係改善に向けて努力される必要はあるし多数派の強化に使われてはならない。民族承認の動員効果は以下だ。人の差を強調すること、そして動員を容易にすること。多数派支配ならこれら二つの効果はどちらも望ましい。反対集団の需要は満せかつ政治的に安定できる。多数派支配で民族承認が採られないのは少数派の不満を満たせないようなものが制度上指定されているときだろう。少数派支配だと動員効果は不利益なので、民族を超えることで政治的競争を避けようとするかもしれない。専制的手段により反対派を圧することができれば少数派支配でも民族承認を採りうる。二人をランダムに選んだとき異なる民族である度合いを細分化度と呼ぶが、これが高い場合はどの集団も社会を統制できないので少数派支配は戦略的にそう悪い状態でもない。動員効果は弱くなろう。高い細分化度だと多数派支配は民族承認をいい戦略と見なさないだろう。なぜなら人口的にそこまで優位を保っていないからだ。
1990-2012年にかけて57ヶ国につき制度上の変化があった86の事例を見るとその約4割で民族承認が起きておりばらつきが大きい。
多数派支配では民族承認がなされ、少数派支配だと民族承認は起きない。民主主義の程度は関係ない。軍事的勝利でも平和的交渉でも同じ比率で民族承認がなされている。多国間の制度は関係ない。植民地支配の歴史は重要だが民族の権力構成が重要という点を打ち消す程ではない。少数派支配だと民族承認がなされないという傾向は特に民族紛争の場合に強い。この結果は欧州を省いても同様。細分化度が高いと多数派支配でも民族承認がされにくくなる。また民族の違いが大きくても同様の結論となる。そして軍事的勝利や専制的な制度などより権力が強い場合、少数派支配だと民族承認がなされにくくなる。
少数派支配は多数派支配と比べ、議会や教育や言語の政策よりも政府の高官や安全保障や公共サービス部門で民族承認の方針を取らない傾向にある。民族承認は国家権力において民族を排除しないことと相関している。DIDで比べると民族承認は政治的暴力を減らし経済的繁栄を高め民主的な統治につながっている。この正の効果は多数派支配のときになされている。少数派支配ではそうはいかない。
植民地支配以前、ツチ族はエリートでフツ族は大衆であり階級的な分断であった。独立から1993年の内戦に至るまでブルンジはツチ族という少数派により支配されており、民族承認はなされていなかった。しかしクーデターや暗殺を経て次第にフツ族という多数派に支配されるようになり2000年や2005年の制度変化で民族承認が議会や教育など多くの分野でなされるようになった。1992年の変化では権力の実態に沿わなかったが、その後民族承認がなされその結果平和が構築された。ツチ族に占められていた軍隊は民族が混合するようになり、政治競争では民族を超えた連合が生じている。近年では大統領の任期が伸ばされるなど専制化の動きが見られ、また民主主義に戻れるかそして民族の均衡が保てるかが注目されている。
ルワンダではフツ族の支配が続き民族承認がなされていた。ブルンジの例とは違い民族構成に沿って割り当てが決められていた。亡命から戻ってきたRPFが侵略を成功させてツチ族の支配となり、民族承認がなされないどころか民族に言及することはご法度とされた。経済成長は進み政治的自由も増えてはいる。しかし演説の自由はなく国民統一の名の下にこっそりツチ族優位な統治が行われており民族についての調査は困難を極めている。むしろ民族の重要性が増してしまっている。
エチオピアは民族の細分化度合いが高い国で、長く少数派のアムハラ人の支配が続いた。ハイレセラシエ皇帝はアムハラ族への同化と民族承認の否定を行った。その後の共産主義軍事政権も民族承認をしなかった。これに対抗するため立ち上がった少数派集団は他の集団からの支持を取り付けるために民族承認を行い、民族の意識を高め政治動員をした。民族の連邦国家が作られ多くの分野で民族承認がなされた。経済は発展したが専制的な制度のままであった。民族の連邦という影に隠れアムハラ人優位の方針が取られ、その他の集団は分割によりアムハラ人に対抗しづらくさせられた。近年では初めてオロモ人による多数派支配が行われており、政治的自由を増やし民族間の不信を減らそうという政策がとられている。
民族承認は連続的なものであり次第に現れてくる。少数集団の需要により生まれてきがちだがそれだけではない。民族承認も民族非承認も逆の効果を生みうる。そして理想的な手段ではなく権力奪取の手段ともなりうる。平和を構築したい人のための政策的示唆としては、歴史に学ぶこと、分断を埋めるには民族承認はいい手段でありうること、そして地域ごとに調整しうることが挙げられよう。長期的な影響を調べたり民族の重要性の薄まる理由がなぜかを考察したり制度の詳細の影響について調べたり北米や欧州の諸問題に応用してみても良さそうだ。
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・エチオピアの今後がたのしみ〜!